下水君100周年記念企画 ~ 生い立ちの記
生い立ちの記
不必要に間が開いてしまったが、下水君100周年記念企画は今回で漸く最終回。最終回では、下水君の「生い立ちの記」と題して、資料や蓋の写真を使い、下水君がどのように変化(成長)してきたのかを追ってみる。
この図は、東京市下水改良事務所徽章が告示された明治44年の東京市公報に掲載されたものを、指定に従って青く着色したものだ。現在見かける下水君と基本的な構成は同じだが、線の細さや東京市章の大きさ、下水構えのバランスなどが異なっていて、どことなくモダンな印象を受ける。
こちらがその東京市公報。日付は明治44年10月26日で、明治時代の下水君に関するものとしては今のところこれが唯一無二の資料だ。
下水君の出生届とも言えるが、その届出人が憲政の神様こと尾崎行雄(当時は東京市長)だというのも面白い。
こちらは、下水君の出生届を閲覧する際に偶然見つけた資料。下水君の兄弟とも言える東京市電氣局の徽章を告示した際の公報だ。日付は明治44年8月26日となっているので、下水君よりも丁度2ヶ月だけ年上ということになる。
余談だが、これらの資料(東京市公報)は都立図書館にマイクロフィルムの形で保存されている。面白い情報はまだまだありそうなので一通り目を通しておきたいと思っているが、一人だと時間がかかるので、そのうち「黙々とマイクロフィルムを眺め続けるオフ」というのをやってみたいと思っている。疲れたら徒歩圏内にある「燈孔銀座探索ツアー」とかもできるし。
続いて大正時代の資料。こちらは東京市下水道詳細圖に記された人孔鉄蓋の設計図(青写真)だ。この資料には大正4年の日付が入った検印があるので、下水君の年齢は3歳~4歳。東京市章が太り気味で、下水構えもやや縁に追いやられ、最初の形状からだいぶ変化している。
現在も路上に残る同じ形式と思われる鉄蓋。
同じく東京市下水道詳細圖より、角型人孔鉄蓋の設計図。東京市章の中央に穴が開いておらず、中央の丸の大きさが目立つ。この形状の下水君は、自働洗滌槽や汚水桝・雨水桝鉄蓋などにも見られる。
現存する同年代のものと思われる雨水桝鉄蓋。下水構えも立派だ。
自働洗滌槽鉄蓋。自働洗滌槽の蓋の紋章は個体差が大きいが、大抵は「立派な下水構え」と「中央に穴の無い短足東京市章」とで構成された形状の下水君になっている。
こちらは汚水桝鉄蓋の設計図より。短足東京市章だが中央の丸は小さい。同じ大正4年の設計図でも、下水君の形状は蓋の種類によって様々だ。
現存する同年代のものと思われる汚水桝鉄蓋。設計図とほぼ同じ形状の下水君だ。ただ、現存する汚水桝鉄蓋の多くは、どちらかと言うと丸の大きい東京市章のものが多いように思う。
この年代の資料では、燈孔蓋の下水君も中央の丸に穴は開いておらず、丸自体も小さめだ。
こちらは大正10年発行の「大東京市民ノ常識」にある「道路露面章略解」という節の図だが、人孔鉄蓋、角型人孔鉄蓋、自働洗滌槽鉄蓋が掲載されており、それぞれに下水君もしっかり描かれている。ただ、左上にある東京市型鉄蓋の図が何だかおかしい。
こちらは私設下水道施設檢査證章標。この様式は大正11年6月21日の公報で告示されているので、下水君の年齢は10歳と8ヶ月。なぜか横長で、色が反転している。
同じ公報で東京市下水道吏員證票の様式も告示されているが、こちらは赤い下水君。下水構えの線が太くなっている。
続いて昭和初期の資料より。昭和4年発行の東京市下水道設計標準圖から、管径2尺2寸5分用洗滌扉の錘の設計図。横幅約45cm。これは洗滌扉の開閉を行う際の釣り合い錘(バランスウェイト)で、地上からは見えない場所に設置されるものだが、下水君が描かれている。
ちなみに資料は昭和4年4月発行なので、下水君の年齢は17歳。
同じ資料から、管径7寸5分用洗滌扉の設計図。こちらも地上からは見えない場所に設置されるものだが、下水君が描かれている。横幅は約25cm。一つ欲しくなる手頃な大きさ。
続いて昭和8年(以降)発行の東京市下水道設計標準圖の内表紙より。だいぶ簡略化された下水君だ。この資料の正確な発行年は不明だが、仮に昭和8年発行とすれば、下水君の年齢は21歳。大人になった。
同資料より特殊人孔鉄蓋の設計図。中央に穴の開いた短足東京市章の下水君。
特殊人孔鉄蓋の下水君は種類が多い。
同資料より燈孔蓋の設計図。こちらは中央に穴が開いていない東京市章の下水君だ。
上の設計図と同じ形式のものと思われる燈孔蓋。
穴あき東京市章の燈孔蓋も存在する。
続いて戦後の下水君を追ってみる。比較的年代のはっきりしているものに、東京都私設下水道章標がある。昭和20年11月、若しくは昭和26年12月の東京都下水道条例全部改正に基づくものだと思われる。下水君は三十路に突入しているが、デザイン自体は明治44年のものに近い。
こちらは排水設備等検査済証。昭和34年12月に改正された東京都下水道条例で登場した。下水君は48歳。加齢とともに角度が緩やかになって、、、て何の話だ?
正確な年代は不明だが、送泥管埋設表示プレート(正式名称も不明)の下水君。下水構えが簡略化されすぎていて原型を留めていない。
大きな変化は昭和44年にやってきた。これまで東京市章・都章は短足になったり丸が大きくなったり穴が開いたりとやりたい放題だったが、下水君も58歳になり、還暦を前にきっちりと指定されるようになった。この図は昭和44年発行の東京都下水道設計標準に記されている。
同じ年代の下水君が写った資料として、東京都下水道局が作成したシリーズ下水道探訪 No.13(PDF)もある。この回は作業車の特集だが、3枚目の1974年撮影とされる写真の作業車の側面に下水君が描かれている。
昭和44年以降に設置された人孔鉄蓋。
昭和55年より納品が開始された鉄蓋工業㈱の無騒音鉄蓋。下水君は68歳。
同じく鉄蓋工業の飛散防止鉄蓋。このタイプの蓋は鉄蓋工業と東京都とが共同開発し、昭和58年に共同出願されているという。
下水君の形状から、中水道のこの蓋も昭和44年以降の設置であることが想像できる。
1987年(昭和62年)の年号が入ったデザイン蓋。この蓋にも下水君が描かれている。このとき75歳。
平成4年4月より桜マークの蓋が使われるようになった。下水君は80歳にして現役を退き、後進に道を譲ることになる。
そして100歳を迎えた現在、仕様書には補修用の蓋として設計図が載っているものの、下水君の旧型の蓋から桜マークの新型の蓋への交換は進んでおり、次第に目にする機会は減ってきている。日本下水道管路管理業協会の発行すする専門誌JASCOMA Vol.18 No.36の「下水道マンホール蓋の維持管理」によると、23区内にあった約42万個の旧型の蓋・枠の人孔のうち、既に半数以上の26万ヶ所の交換が完了していて、残りの16万ヶ所についても今後10年で交換されてしまうのだという。安全の維持・管理が進んでいることは頼もしいことではあるが、何となく寂しい気もする。まだ多く残っている今のうちによく観察・鑑賞をしておきたい。
というわけで、合計21回に渡って連載してきた下水君100周年記念企画もこれで最後だ。読者の皆さま、最後までお付き合い頂きありがとうございました。そして、もし今回の企画で未掲載の下水君を見つけたら、どんなものでも構わないので是非情報をお寄せください。
関連リンク
●下水君100周年記念企画01 ~ 東京市型鉄蓋
●下水君100周年記念企画02 ~ 日之出水道機器株式会社
●下水君100周年記念企画03 ~ 鉄蓋工業株式会社
●下水君100周年記念企画04 ~ 変則東京市型
●下水君100周年記念企画05 ~ デザイン蓋
●下水君100周年記念企画06 ~ コンクリート蓋
●下水君100周年記念企画07 ~ 化粧蓋
●下水君100周年記念企画08 ~ L型汚水桝・雨水桝蓋
●下水君100周年記念企画09 ~ 汚水桝・雨水桝鉄蓋
●下水君100周年記念企画10 ~ 特殊人孔鉄蓋
●下水君100周年記念企画11 ~ 自働洗滌槽
●下水君100周年記念企画12 ~ 燈孔蓋
●下水君100周年記念企画13 ~ 中水道
●下水君100周年記念企画14 ~ その他の蓋
●下水君100周年記念企画15 ~ 送泥管
●下水君100周年記念企画16 ~ 私設下水道施設檢査證章標、他
●下水君100周年記念企画17 ~ 縁石、縁塊等
●下水君100周年記念企画18 ~ 鉄蓋虐待
●下水君100周年記念企画19 ~ 越境記録
●下水君100周年記念企画20 ~ 下水君の親類
2012 年 4 月 26 日 9:14 PM
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