神奈川縣鎌倉郡鎌倉町(現 鎌倉市)
星と月とで構成された、明治27年~昭和14年まで存在していた旧鎌倉町の町章が入った蓋。同窓会で高校・大学共通の大先輩から情報を頂いて撮影してきた。鎌倉宮近くの通りに一枚のみ残っており、先述のとおり戦前に存在した鎌倉町時代に製造された蓋ということだ。
こちらは現在の市章「ササリンドウ」が入った市内各所で見られる蓋。「ササリンドウ」の紋を実際に鎌倉源氏が使用していたかどうかは不明とのことだが、歌舞伎や浄瑠璃などでは伝統的に源氏の家紋として使われている。この市章の制定は昭和27年で、腰越町との合併により市制を施行した昭和14年から13年間は市章が存在しなかったということらしい。合併の際、存続自治体は鎌倉町だったようなので、引き続き「星月」の旧町章を市章として利用していた可能性もある。ちなみに幻の田園都市計画のあった大船町の編入は昭和23年。
こちらは市章に似ているが、花が三つとも開いている「ササリンドウ」が入った蓋。これは正確には鎌倉市の市章ではないが、家紋の分類としてはこちらのほうが正しい「ササリンドウ」ということだ。
こちらは旧鎌倉町の町章の由来と思われる鎌倉十井のひとつ「星月井」。「星の井」、「星月夜の井」とも呼ばれており、「星月夜」の語は秋の季語や鎌倉の枕詞になっている。
鶴岡八幡宮の境内にある昭和3年に設立された鎌倉国宝館。
この国宝館の扉にも「星月」の意匠が入っている。
鎌倉市ホームページ内の「鎌倉国宝館について」というページには、この扉に「当時の鎌倉町の町章であった星と月のマークがかたどられている」と記されており、この「星月」の紋章が鎌倉町の町章であったことに間違いはないようだ。
「星月」のマークは国宝館のシンボルマークとしても利用されている。
こちらは鶴岡八幡宮に近い巨福呂坂洞門。
巨福呂坂洞門は平成5年に竣工した比較的新しい落石防護設備だが、こちらでもなぜか旧鎌倉町の町章を確認することができる。
旧鎌倉町の町章を意匠とした飾りは洞門内に等間隔に並んでいる。
鎌倉市立第一小学校の校章も旧鎌倉町の町章と同じ「星月」だ。第一小学校ホームページの「校章(星月)の由来」によると、校章の由来は「星月井」であり、明治41年に明治天皇の富美宮、泰宮内親王の「御機嫌伺」をきっかけに制定したとされている。もしかすると、小学校の校章を元に鎌倉町の町章が制定されたのかもしれない。このあたりの事情を鎌倉市中央図書館所蔵の郷土資料や「鎌倉町条例集」などで調べてみたが、町章の制定時期や校章と町章との関連はわからなかった。(写真は校章制定時に製作され両内親王より下賜された旧校旗。鎌倉市中央図書館所蔵「鎌倉市立第一小学校 開校百年記念誌」[開校百年記念誌実行委員会編集、鎌倉市立第一小学校 1993年発行]より)
追記(2010/05/31)
蓋に入っている紋章を確認する際にいつもお世話になっているちきぺーじのちきさんから情報を頂き、大正3年~4年にかけて東京朝日新聞に連載されていた「都市の紋章」というコラム(リンク先は神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ)に、
- 制定は明治34年1月1日
- 由来は「星月夜の井」
- 立案者は鎌倉小学校の職員
という情報があることが判明した。即ち、町章制定が先で、その後町章の立案者がいた鎌倉小学校(現 第一小学校)の校章にも同じ「星月」が採用されたということらしい。
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●鎌倉国宝館について(鎌倉市ホームページ)
●校章(星月)の由来(鎌倉市立第一小学校ホームページ)