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白汚零 写真展「虚」


白汚零 写真展「(うろ)
 
10月23日から11月9日まで、神保町画廊にて白汚零 写真展「(うろ)」が開催されている。白汚零さんというと、普段は見ることのできない地下の世界、特に下水道の中の美しさを表現した作品でよく知られているが、今回の写真展もそんな地下の美しい世界をテーマとした作品で構成されている。(月曜日・火曜日はお休みなのでご注意を)
 
 
 

筆者は開催初日にお邪魔したが、なんと白汚さんにお会いすることができた。ここぞとばかりに11月2日開催予定のマンホールナイトのご案内もさせていただいたので、ご参加の方はひょっとするとマンホールナイトでお会いできるかもれない。
 
折角なので、一部で話題となっていた東京都下水道局が配布した今年のカレンダーの写真についても質問させていただいた。カレンダーの写真はもちろん白汚さんの撮影だが、その中に自働洗滌槽の中身と思われる写真があるのだ。撮影場所は千代田区となっており、仲間内ではここではないかと予想したりもしていた。
 
白汚さんによると、カレンダーの写真は自働洗滌槽で間違いなく、丸い蓋で、場所は東京国際フォーラムの近くとのことだった。
 
 
 

自働洗滌槽?

というわけで早速探しに行ってみた。現役で使われているのか(現在も2基稼動中との情報がある)、もう片方の蓋がどんな形なのかをお聞きしていなかったが、東京国際フォーラム前に怪しげな並びの蓋を見つけた。管布設年は1988年となっているが、これは管渠の更新年の可能性もあるので、ここが撮影場所である可能性は捨てきれない。(追記 11/9: 白汚先生にこの写真の位置・配置で間違いないことを直接確認しました)
 
 
 

旧東京都庁第一庁舎

東京国際フォーラムは旧都庁の敷地跡に立地しており、カレンダーの自働洗滌槽はもちろんこの頃にも存在していたはずだ。(† Wikimedia Commonsより取得。作者不明、利用許可:パブリックドメイン)
 
 
 

東京府庁・東京市役所

自働洗滌槽の設置はほとんどが戦前だったはずなので、さらに東京府庁・東京市役所が置かれていた時代にまで遡ることができる。地下に遺る文化遺産、皆さんの足元にもあるかもしれない。(† Wikimedia Commonsより取得。作者不明、利用許可:パブリックドメイン)
 
 
 

おさんぽ神保町 街歩き

話は少し変わるが、来る11月9日(土)に、筆者が案内する街歩きが開催される。秋葉原を起点にマンホールの蓋を中心に観察しつつ神保町を目指す。この日が最終日の写真展にも足を伸ばす予定だ。詳しくはおさんぽ神保町のホームページを参照されたし。なお、当初は10月26日に開催の予定だったが、台風直撃の恐れがあるため11月9日に延期されている。
 
 
 
関連リンク
  ●下水君100周年記念企画11 ~ 自働洗滌槽(駅からマンホール:2011/12/28)
  ●地下探訪(駅からマンホール:2009/09/10)
  ●東京ワンダーグラウンド(駅からマンホール:2010/09/10)
  ●マンホールと向こう側(駅からマンホール:2011/09/14)
  ●神保町画廊
  ●白汚零☆Ray Shirao☆ウェブポートフォリオ
  ●白汚零の世界(月刊下水道)
 



国際も市外もインターネットも ~ ケイディディ株式会社


ケイディディ株式会社

ケイディディ株式会社(KDD、現 KDDI株式会社)
 
電信電話記念日の更新第2段。こちらもKDDの蓋だが、平成10年12月に国際電信電話が日本高速通信(TWJ、テレウェイ)を吸収合併した後のケイディディ株式会社のものだ。本当はこの機に社名を「KDD株式会社」としたかったようだが、当時はアルファベットが登記上使用できなかったため、カタカナの社名が正式なものとなっている。
 
 
 

ケイディディ株式会社

四角い蓋。新橋駅近くの中銀カプセルタワービルを連想させる地紋。
 
 
 

ケイディディ株式会社

さらに大きな四角い蓋。このロゴが入った蓋はそれほど数が多くない。というのは、KDDは平成12年に第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)との合併により現在のKDDI株式会社になっているため、このロゴは実質1年半ほどしか使われなかったためだ。
 
 
 

KDDホームページ

Internet Archive で当時のホームページを参照することができる。蓋と同じロゴも確認できる。001番KDD。
 
 
 

こちらはサイトのトップページへ入るためだけのFlashムービー。当時ならでは。こういうの嫌いではない。
 
 
 
関連リンク
  ●国際電信電話株式会社(駅からマンホール:2013/10/23)
  ●むにゅ’s のぉとさん
  ●夢の入口でさん
  ●マンホール・下水・暗渠 ~rzekaの都市観察さん
 



ゼロ、ゼロ、ワンダフル ~ 国際電信電話株式会社


国際電信電話株式会社

国際電信電話株式会社(KDD、現 KDDI株式会社)
 
今日は電信電話記念日ということでKDDの蓋を取り上げる。写真は2009年に二宮町で撮影したものだが、斜めT字地紋のちょっと古そうなもの。国際電信電話ことKDDは昭和28年3月に日本電信電話公社(電電公社)から分割されて設立した会社で、日本と海外との国際電気通信・国際電話事業を独占的に扱っていた。ちなみに電電公社の設立が昭和27年8月なので、電電公社の設立から1年も置かずに分割されたことになる。
 
 
 

国際電信電話株式会社

こちらもT字地紋の丸い蓋。
 
 
 

国際電信電話株式会社

中央の社章の周りにイボイボがない蓋もあった。
 
 
 

国際電信電話株式会社

四角い蓋。こちらはイボつき。
 
 
 

国際電信電話株式会社

電力系や共同溝の蓋によく使われる地紋の蓋。中央の社章部分は周囲より1段盛り上がっている。
 
 
 

国際電信電話株式会社

こちらも電力系の地紋(オシロスコープ地紋)の蓋。社章がどことなく可愛らしい。
 
 
 
 

KDD社章      KDDロゴ

ここまで紹介した蓋のマークはKDDIのホームページに「KDD社章」として掲載されている。ただ筆者はKDDと言われると右のロゴが思い浮かぶ。右のロゴも社章なのか、いつから使われているのか、このロゴの入った蓋も存在するのか、興味は尽きない。(† 左の画像はKDDIのホームページ、右の画像はInternet Archiveより引用)
 
ちなみに「KDD」は、Kokusai Denshin Denwa の略。対して、民営化前から電電公社の英文略称として使われていた「NTT」が、Nippon Telegraph and Telephone の略なので、国際電話担当の会社が日本語の略字、国内電話担当の会社(公社)が英語の略字ということになる。ちょっとチグハグ。
 
 
 

蓋の写真ばかりでは華が無いので、KDD設立時に本社が置かれたという三菱21号館の写真を添えておく。丸の内3丁目に立地し、大正3年竣工、昭和38年に解体されている。(† Wikipediaより取得。作者不明、利用許可:パブリックドメイン)
 
 
 
関連リンク
  ●ケイディディ株式会社(駅からマンホール:2013/10/23)
  ●日本電信電話公社(駅からマンホール:2009/10/23)
  ●通信系・下を向いて歩こう!(仮)さん
 



今日で413周年 ~ 岐阜県関ケ原町


岐阜県不破郡関ケ原町

岐阜県不破郡関ケ原町
 
町の花「ウメ」、町の木「スギ」と武将の「兜」がデザインされている。関ケ原町は関ヶ原の戦いの主戦場だったことで有名な町で、413年前の本日、西暦1600年10月21日(旧暦では9月15日)朝に開戦され、その日のうちに決着が着いたのだそうだ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町岐阜県不破郡関ケ原町

彩色されていない蓋。彩色されたものと凹凸は同じようだ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町岐阜県不破郡関ケ原町

上水道の蓋2種。あまり見かけないタイプの蓋だ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町

同じく上水道の、空気弁の蓋。把手が付いていて簡単に開けられるようになっている。
 
 
 

関ヶ原駅

関ヶ原駅。東海道本線の駅で岐阜県最西端の駅でもある。関ヶ原駅-大垣駅間についてはやや複雑な事情から、正式な下り線が間にある垂井駅を迂回していて、その垂井駅を通っている下り線は垂井支線という支線になっているという、書いている本人も何を書きたいのかわからなくなってしまう小ネタがあるのだが、このブログは鉄道ブログではないので詳しくはWikipediaの該当項目を参照されたし。
 
 
 

飲料用防火水槽

配水塔らしきものにも合戦のイメージが描かれている。関ヶ原の合戦というよりは、毎年この時期に開催される「関ケ原合戦祭り」をイメージしているようだ。
 
 
 

飲料用防火水槽

「飲料用防火水槽」なんだそうな。
 
 
 

関が原歩道橋

国道21号線(中山道)を歩いていると歩道橋が見えてきた。ただ左右の階段が見えず、ちょっと不思議な風景。
 
 
 

関が原歩道橋

別世界に繋がっていそうな雰囲気。
 
 
 

関が原歩道橋

反対側から。表通りとは全く異なる雰囲気が面白い。
 
 
 

関ヶ原名神歩道橋

こちらは国道365号線に架かる関ヶ原名神歩道橋。
 
 
 

関ヶ原名神歩道橋

この歩道橋の特徴は一直線なところ。歩道橋は今のところ専門外だが、関ケ原町には見ていて楽しくなる歩道橋が多かった。ちなみにこの一直線タイプの歩道橋、環七足立系なんて名前が付いていたりする。
 
以上、撮影は全て2011年7月。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●鯛の尻尾を奪い取れさん
  ●マンホール友の会さん
  ●☆Now&Here☆日本ぐるりん旅日記さん
  ●Japanese manhole coversさん
  ●ゼロ・ポイント・フィールドさん
 



下水道の日一般公開 ~ 中川水循環センター


中川水循環センター

中川水循環センター
 
また下水道の日関連の更新。今回は9月9日に見学した中川水循環センターのレポート。
 
その前に何故9月10日が下水道の日なのかという話にけりをつけておく。前回の記事で、下水道の日は昔からある台風襲来の特異日の一つである二百二十日を念頭に決められたのではないかと書いた。実際下水道の日の由来について検索してみると、幾つかの自治体のホームページで二百二十日との関連について触れられている。しかし下水道の日(制定時は全国下水道促進デー)が制定された1961年を含め大分先(21世紀中頃)まで、基本的に二百二十日は9月10日ではなく9月11日になるのだ。二百二十日を念頭に置いたのならば、何故9月11日ではなくて9月10日なのか、最後の疑問が残った。
 
ここで原点に立ち戻る。台風襲来の特異日は、八朔・二百十日・二百二十日の3つだ。そのうちの一つ八朔(旧暦の8月1日)については、新暦に直すと年によるバラつきが多いので除外して考えていたのだが、制定時の1961年に八朔が何日になるのかを調べてみたところ、何と9月10日だった。しかもこの日は日曜日、イベントを開催するには適切な日だ。というわけで、下水道の日が9月10日とされた由来は「1961年の八朔を記念日とした」と結論付けておく。
 
 
そもそも、天候の悪くなる可能性の高い日にイベント(記念日)を設定するのはどうかとも思うが、この日は前日の雨も上がりいい天気だった。
 
 
 

中川流域下水道

中川流域下水道
 
前日の見学は休日だというのに一人だったが、今回は他に参加者もおられた。この蓋は管理棟の待ち合わせ場所に展示されていた。「中川の投網漁の風景」がデザインされている。中川水循環センターは、その名の通り中川流域下水道の処理場だ。
 
 
 

中川水循環センター

管理棟からの眺め。沈砂池→ポンプ→最初沈殿池→反応槽→最終沈殿池→消毒槽→放流という流れはすっかり覚えた。
 
 
 

中川水循環センター

最終沈殿池。ここまで来ると透明度の高い綺麗な水になっている。中川水循環センターでは高度処理を導入しているため、汚水がここまで来るのに他の処理場よりも短い時間で済むとのことだ。さらに処理槽が2階建ての構造になっていることや、放流水を用いて実験的に水力発電を行なっていることなど、興味深い話を幾つか伺えた。
 
 
 

中川水循環センター

といっても筆者の興味はやはりこちら。
 
 
 

中川水循環センター

流域自治体の蓋の展示コーナーだ。ここには17の自治体と流域下水道関連施設、併せて19枚の蓋が展示されている。展示されている蓋の自治体は以下の通り。なお、長くなるので今回は流域下水道関連の蓋のみを取り上げる。
 
      ・中川下水処理場(中央幹線)
      ・川口市(川口幹線→中央幹線)
      ・三郷市(中川幹線/三郷幹線→中央幹線)
      ・吉川市(中川幹線)
      ・松伏町(中川幹線)
      ・庄和町(中川幹線)
      ・八潮市(中央幹線)
      ・浦和市(浦和幹線→中央幹線)
      ・草加市(中央幹線)
      ・越谷市(中央幹線)
      ・春日部ポンプ場(杉戸幹線/中央幹線)
      ・春日部市(杉戸幹線)
      ・宮代町(宮代幹線→杉戸幹線)
      ・杉戸町(杉戸幹線)
      ・幸手市(杉戸幹線)
      ・岩槻市(白岡幹線/岩槻幹線→杉戸幹線)
      ・伊奈町(伊奈幹線→白岡幹線)
      ・蓮田市(白岡幹線)
      ・白岡町(白岡幹線)
 
 
 

中川流域下水道

「中川下水処理場」と書かれた蓋。埼玉県は現在、下水処理場(終末処理場)のことを「水循環センター」と呼んでいるが、この蓋はそれ以前に造られたものかもしれない。
 
 
 

中川流域下水道

同じ図柄だが「春日部ポンプ場」と書かれた蓋。ただ、実際にこの蓋が春日部ポンプ場(春日部中継ポンプ場)に設置されていることはないと思われる。
 
 
 

これら展示されている蓋は、下水道幹線を模したライン上に設置されている。ライン上には幹線名も記載されており、なかなか凝っている。
 
 
 

中川水循環センター

各自治体から幹線やポンプ場を経由し、中川水循環センターを経て、最後は鯉の泳ぐビオトープへと繋がっている。
 
 
 

中川水循環センター

同じ図柄の蓋は展示場所近くのトイレ脇にも2枚設置されていた。こちらは実使用されているようだ。
 
 
 

中川流域下水道

でも名無し。
 
 
 

中川流域下水道

こちらは岩槻市内で撮影した彩色されていない蓋。
 
 
 

中川流域下水道

三郷市内、中川水循環センター近くで撮影した親子蓋。
 
 
 

中川流域下水道

こちらは吉川市内で撮影した蓋。「流・域・下・水」の文字が入っている。もちろん中川流域下水道の蓋だが、荒川左岸南部流域下水道など埼玉県内の他の流域下水道でも同じデザインの蓋が使われている。
 
 
 

中川流域下水道

中川水循環センター内に設置されていた蓋。中央に入っているのは埼玉県章。
 
 
 

中川流域下水道

彩色された蓋は中川水循環センター内でしか見られないのかというとそうではなく、埼玉県立大学近くに1枚設置例がある。「チュⅡ」って何だ?
 
 
 

場所はここ。マンホールマップでも確認できる。しかし何故こんな所に?
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●元荒川水循環センター(駅からマンホール:2013/09/08)
  ●荒川水循環センター(駅からマンホール:2012/10/13)
  ●荒川右岸流域下水道(駅からマンホール:2011/01/26)
  ●古利根川流域下水道(駅からマンホール:2008/11/15)
  ●荒川左岸北部流域下水道(駅からマンホール:2008/07/06)