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千葉県水道局


千葉県水道局

千葉県水道局
 
水道局の紋章が入った消火栓の蓋。味のある字体だ。
 
千葉県水道局は、市川市・浦安市・鎌ケ谷市の全域、千葉市船橋市習志野市松戸市市原市、白井市の一部と千葉ニュータウン、成田ニュータウン、成田国際空港等の上水道事業を行っている。
 
 
 

千葉県水道局

こちらも消火栓の蓋。同じく味のある字体。
 
 
 

千葉県水道局千葉県水道局

止水栓と制水弁の蓋。止水栓の蓋の字は消火栓の蓋と同じ味のある字体だ。制水弁の蓋には「制水(えん)」と書かれているが、実際に蓋として機能しているのかどうかも怪しいくらいに古そうだ。千葉県水道局の設立は昭和9年なので、この蓋は戦前の設置なのかもしれない。
 
ちなみに、管路を開閉する弁のことを制水弁とよび、その中でもよく使われるものが仕切弁で(他にはバタフライ弁やボール弁などがある)、管路末端などで使われる規模の小さい制水弁のことを止水栓と呼ぶようだ。なお、流量を調節する弁は、制水弁に対して制御弁と呼ばれる。
 
 
 

新検見川駅

ハス

この日は大賀ハスの種が発掘された地を巡り、千葉市花見川区・美浜区を散策した。散策を開始した新検見川(けみがわ)駅では、駅改札内にハスが咲いていた。
 
 
 

新検見川駅

新検見川駅の外観。橋上駅舎になっている。総武線(各駅停車)の駅。
 
 
 

検見川神社

少し歩くと検見川神社に到着した。神社は新検見川駅よりも京成電鉄千葉線の検見川駅の方が近い。総武線の開業は明治27年、京成千葉線の開業は大正10年と総武線のほうが早いのだが、新検見川駅の開業は戦後の昭和26年で、先に京成の検見川駅が存在していたため、総武線の駅は検見川駅とすることができずに新検見川駅となったのだそうだ。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●千葉県水道局(駅からマンホール:2009/10/17)
 



画像加工(遠近法変換)


影が入った写真

画像加工(遠近法変換)
 
筆者の周辺でブログに掲載する画像への加工についての話題が上ったので、いい機会だから当ブログで行っている画像加工について書いてみることにしました。何種類かの加工を加えていますが、今回は遠近法変換について書いてみます。
 
この写真は、先日電気の史料館で撮影した日本電力株式會社の蓋です。真上に照明があったので、真上からの撮影ではどう頑張っても撮影者の影が入ってしまいます。館内は撮影可能ですが、フラッシュを利用しての撮影はご遠慮くださいとのことですので、フラッシュも使えません。例えフラッシュを使えたとしても、真上からのフラッシュ撮影では金属部分の反射光が強すぎて、いい写真を撮るのはとても困難だったりします。
 
 
 

斜めに撮影逆向き斜めに撮影

こういった場合筆者は斜めに撮影します。左の写真は正面から、右の写真は蓋の上部から斜めに撮影したものです。色合いは左の写真のほうが自然なのですが、肝心な社章の部分が判別しづらかったので、掲載する写真として右の写真を選びました。
 
 
 

ただ引き伸ばした例遠近法を使って引き伸ばした例

こちらが斜めに撮影した写真を加工したものです。左の写真は単純に縦に引き伸ばしたもの、右の写真は遠近法変換を使って引き伸ばしたものです。単純に縦に引き伸ばすと、蓋の中心がずれてしまい画像が歪んでしまうことがわかります。
 
遠近法変換については、フリーソフトを使うのであればGIMP、有料ソフトであればPhotoShopが便利です。GIMPを使う場合はツールボックスにある「遠近法」のボタン、PhotoShopを使う場合は「編集→変形→遠近法」のメニューから処理が可能です。それぞれのソフトの使い方は、詳しく説明してくれているサイトがたくさんありますのでそちらを参照してください。
 
 
 

補正用テンプレート

こちらは筆者が作った、画像を加工する際に利用しているテンプレートのイメージです。丸と直線を描いて半透明にしているだけですが、作っておくと加工をする際にとても役に立ちます。テンプレートを蓋の画像の上のレイヤーに配置して、蓋の中心を十字線に合わせ、蓋が円内にぴったり収まるように変形させれば、蓋を真上から撮影したような写真になります。(マウスカーソルを乗せると蓋の画像を表示)
 
 
 

照り返しがきつい例

他にも例をいくつか挙げてみます。この写真は茨城県龍ケ崎市の蓋ですが、真上からの撮影で影は入らないものの、照り返しがきつくてあまりよい写真とはいえません。
 
 
 

加工前加工後

こういった場合も斜めから撮影するとよい結果が得られます。左の写真が斜めから撮影したもので、右の写真が遠近法変換で真上から撮影したように加工したものです。上の、実際に真上から撮影した写真と比べると、絵柄が引き立ってよい写真になっています。(自画自賛だな)
 
 
 

寄って撮影した例変換後画像の端が切れてしまった例

斜めに撮影する際に注意することが一つあります。あまり寄りすぎて撮影すると、遠近法変換後に画像の端が切れてしまうことがあるのです。左の写真は蓋に寄って斜めに撮影したもので、右の写真はそれを遠近法変換で加工したものです。加工後の写真を正方形に切り出すと、画像の下部が一部切れてしまうことがわかります。斜めに撮影する際は余裕を持って画角をとる必要があります。
 
 
 

フラッシュ撮影による反射

斜めに撮影して遠近法変換を行う方法は、フラッシュ撮影をする際にも応用が可能です。この写真は東京都瑞穂町の蓋ですが、訪れたのが夜だったためフラッシュ撮影が必要でした。しかし真上からフラッシュを使うと、このように絵柄がフラッシュの照り返しで潰れてしまうことがあります。
 
 
 

加工前加工後

こういった場合、斜めからフラッシュを使って撮影すると照り返しを抑えることができます。左の写真が斜めからフラッシュを使って撮影したもの、右がその画像を遠近法変換で加工したものです。
 
 
 

加工前加工後

最後に、斜めにしか撮影できなかった例として青森県深浦町の蓋です。町の中心駅である深浦駅で下車して蓋を探したのですが、深浦駅の周辺には下水道が整備されていないようで見つかりませんでした。しかし、同町内にある千畳敷駅付近に絵柄入りの蓋が設置されていることは電車の車窓から確認できました。ところがここで下車すると、本数の少ない五能線では宿まで帰れなくなってしまいます。泣く泣く車窓から望遠で撮影したのが左の写真で、それを遠近法変換で加工したのが右の写真です。受枠の部分が多少不自然ですが、意外と絵柄がきれいに再現できたのでブログに掲載することができました。
 
 



東京市電氣局


東京市電氣局

東京市電氣局(現 東京都交通局)
 
東京市の市章(現在の東京都の都章)を基にしたデザインの電氣局紋章を中心に、「市電燈 NO」と書かれている。「市電燈」は「東京市電氣局電燈課」を指しているものと思われるが、「NO」が何を意味しているのかは不明。電氣局には電燈課の他に電車課が存在しており、電車課は現在の東京都交通局の前身。
 
電燈課・電車課の名前からは、電気洗濯機もエアコンもなかった当時、電気の主な使い道は電灯か電車くらいだったことが想像できる。
 
 
 

東京市電氣局

こちらは四角い蓋。丸い蓋よりも四角い蓋の方が古いのだそうだ。
 
上記2枚の蓋は電気の史料館で撮影した。
 
 
 

東京市電氣局

こちらの蓋は上野から浅草に向かう途中、浅草通りの歩道で見つけた現役の蓋。撮影は2010年6月12日
 
先述の通り東京市電氣局は当時の東京市内の電力供給事業(電燈課)と路面電車(市電)をはじめとする鉄道事業(電車課)を行っていたが、昭和17年の配電統制令の発令により電力供給事業は関東配電株式會社(半官半民の特殊法人)に移された。翌年昭和18年に東京都が発足すると、残っていた電氣局電車課は東京都交通局と改称され現在に至る。
 
東京市電氣局は東京都交通局の前身ではあるが、この蓋は電燈課の管轄していた蓋のようなので、現在の管理者は東京都交通局ではなく東京電力になるものと思われる。
 
 
 

東京都交通局

東京都交通局(都営地下鉄)
 
こちらも同じマークが入った比較的新しそうな蓋。電氣局の紋章は東京都交通局に継承され、現在でも廃止にはなっていない。ただ、平成元年に東京都シンボルマークが制定されるとこの紋章は原則使わない方針とされ、現在では目にする機会が少なくなっている。
 
この蓋は都営浅草線大門駅近くで見つけた。浅草線の開業は昭和35年、大門駅の開業は昭和39年なので、この蓋はその前後に設置されたものか、その後に交換されたものと思われる。従ってこの蓋は東京市電氣局ではなく、東京都交通局(都営線)の蓋と分類すべきだろう。
 
 
 

都営新宿線案内板

こちらは万世橋近く、靖国通りに現在も設置されている都営新宿線の案内板。東京市電氣局から継承された東京都交通局の紋章も入っている。平成元年に江戸橋駅から改称された日本橋駅の表示があるので、この案内板は平成元年以降に設置されたものだ。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●電気の史料館(駅からマンホール:2010/07/13)
  ●東京府東京市(駅からマンホール:2010/12/11)
  ●むにゅ’s のぉとさん
  ●MDCBlogさん
  ●8F MANHOLE 研究室さん
 



東電 ~ 東京電燈株式會社


東京電燈株式會社

東京電燈株式會社
 
中央に社章が入った蓋。東京電燈株式會社は明治19年に創業された日本初の電力供給会社。当時は電気冷蔵庫もテレビもなく、電気の主な使い道は電灯くらいだったため東京電燈という社名になったのではないかと思われる。戦時体制で全国の電力会社は日本發送電株式會社と関連する9つの配電会社とに統合されたが、東京電燈も解体・統合されて昭和17年には解散されている。
 
直接の繋がりはないものの、東京電燈が電力を供給していた地域は現在の東京電力株式会社の供給地域とほぼ重なっており、マンホールの蓋のデザインも継承されているようだ。
 
 
蓋の写真は電気の史料館で撮影した。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●電気の史料館(駅からマンホール:2010/07/13)
 



日電 ~ 日本電力株式會社


日本電力株式會社

日本電力株式會社
 
中央に社章が入った蓋。日本電力株式會社は大正10年に創業され関西地方を中心に電力供給事業を展開していた会社だが、昭和4年には東京にも進出しており、東京にもこの蓋が設置されていた。戦時体制で電力会社が国家による統制のもとに統合されるに従い会社の規模は縮小し、存続会社の日電興業も戦後の財閥解体により昭和22年に解散している。
 
放射状に伸びる線と大小の丸とで構成されたこの蓋の地紋は、現在でも幾つかの電力会社で使用されている。日本電力がこの地紋の発祥なのかもしれない。
 
 
蓋の写真は電気の史料館で撮影した。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●電気の史料館(駅からマンホール:2010/07/13)