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京王帝都電鉄株式会社


京王帝都電鉄株式会社

京王帝都電鉄株式会社(現 京王電鉄株式会社)
 
京王帝都電鉄の社章が入っている。現在の「KEIO」の文字を図案化した社章は1989年11月24日に制定されたとのことなので、この蓋の社章はそれ以前のものだ。なお、社章を変更した約8年後の1998年7月には、社名も現在の京王電鉄に改称している。
 
 
 

デハ222

京王平山研修センターに静態保存されている220系電車(デハ222)。京王帝都電鉄の社章と頭文字「K.T.R.」のマークが車両についている。(† ウィキメディアより取得。作者:Lover of Romance、利用許可:cc-by-sa-3.0)

 
 
 

京王6000系電車

こちらは京王6000系電車。今年の3月をもって営業運転を終了することが発表されており、営業運転終了記念ヘッドマークを装着している。(† Wikipediaより取得。作者:Resident of higashi-fuchu、利用許可:cc-by-sa-3.0)
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●マンホール・下水・暗渠 ~rzekaの都市観察さん
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暗渠を辿る ~ 千川上水


千川上水

千川上水
 
都の花「ソメイヨシノ」、都の木「イチョウ」の葉と「メダカ」らしき小魚がデザインされている。中央には千川上水の紋章が入っている。この蓋は、現在は暗渠化されて地中を流れている千川上水の上を通る道路、具体的には板橋第一中学校裏に2枚と板橋高校南側の道に(少なくとも)2枚設置されている。
 
 
 

千川上水空気弁

こちらは巣鴨駅前に設置されている「千川上水空気弁・都北部公園」と書かれた蓋。水道局で使われている蓋と同じ形状をしている。千川上水の水は徳川綱吉の命により開削された直後から六義園へ供給されていたが、この蓋はその流路上に設置されたものだと思われる。「都北部公園」は、かつて六義園を管轄していた北部公園緑地事務所のことで、都立図書館のOPACで検索すると、北部公園緑地事務所は平成9年度まで存在しており、平成10年度には南部公園緑地事務所と合併して現在は東部公園緑地事務所になっていることがわかる。
 
以上のことから、この蓋は水道局ではなく建設局による設置ではないかと推測される。なお、千川上水の六義園への給水は昭和43年に停止されているため、この蓋はそれ以前に設置されたもので、また、現在は使われていないはずだ。この蓋の下にあったと思われる流路は、下水道台帳への記載もない。
 
 
 

巣鴨駅前

巣鴨駅前。右手前の蓋が「千川上水空気弁・都北部公園」の蓋だ。
 
この日はここから暗渠化された千川上水を辿って、豊島区要町にある千川親水公園まで蓋に注目しながら歩いてみた。
 
 
 

千川上水公園

上流へ遡り、千川上水調節池跡に到着。江戸時代には、ここにあった溜池で砂やごみなどを沈殿させた後、飲料水として下谷・浅草方面へ供給していたのだという。幕末には産業用水として王子方面への分水も開始され、昭和46年まで大蔵省印刷局抄紙部(現在の国立印刷局滝野川工場)へ給水されていた。現在は千川上水公園として整備されている。
 
 
 

六義園給水用バルブ

千川上水公園には、六義園への水の供給を制御していたバルブが現在も残っている。
 
 
 

千川上水分配堰碑

明治通りを挟んで千川上水公園の向かい側に残る、千川上水分配堰碑。この石碑は明治15年に設置されたもので、当時は重要な水利権であった千川上水の水利権を明確にするために設置されたのだそうだ。石碑の横には千川上水の紋章が入った蓋も見える。
 
 
 

千川上水

千川上水の紋章が入った古そうな蓋。この蓋については昭和59年に発行されたマンホールのふた 日本篇(林丈二 サイエンティスト社)に掲載されているが、その時点でもう泥が詰まっていて使われていない状態だったようだ。この大きさ(直径60cm程度)の蓋は滝野川6丁目と7丁目の境に4枚残っている。この辺りが暗渠化されたのは昭和3年とのことなので、この蓋はその際に設置され、大蔵省印刷局抄紙部への給水が停止される昭和46年まで使われていたものと思われる。
 
 
 

千川上水

こちらは大型の蓋。1枚だけ見つけた。
 
 
 

千川上水暗渠

他の蓋は道路の端に設置されていたが、この大型の蓋は道の真ん中に設置されている。現在は普通の道路となっているが、かつてはここに川のように千川上水が流れており、暗渠化された昭和3年からはこの道路の下を流れていた。
 
 
 

東京都

暗渠を辿ると、都章が入った蓋もいくつか見られた。通常、下水道局の設置する鉄蓋には下水道局紋章が用いられるが、この蓋には都章が用いられている。従って、この蓋は下水道局ではなく建設局が設置した千川上水に関わる蓋であると思われる。
 
 
 

千川上水  千川上水

千川上水の紋章が入った角蓋もあった。
 
 
 

現在の暗渠部分の終点

角蓋は板橋駅東口近くに二つ並んでいた。現在の千川上水跡を流れる水流の終点はここで、ここから谷端川放水路に合流して石神井川に放水されている。先に掲載した千川上水分配堰碑の近くにも角蓋が1枚残っているが、車の下になっていて撮影できなかった。
 
 
 

東京都

埼京線の線路を越えて板橋駅西口に出ると、三角形の蓋2枚で構成された無印の大きな角蓋が見つかった。
 
 
 

千川上水暗渠

千川上水の暗渠上に設置されており、千川上水に関わる蓋ではないかと思われる。
 
 
 

東京都

さらに千川上水を遡ると、東武東上線大山駅近くのアーケード内で都章の入った蝶番付きの大きな蓋が見つかった。この蓋も千川上水暗渠上に設置されており、千川上水に関わる蓋だと思われる。
 
 
 

千川上水水神様

途中、千川上水が開渠だった時期に発生した水難事故供養のために祭られた、水神様の祠があった。
 
 
 

東京都

こちらも都章が入った蓋だが、中央に穴が開いており、都章の足が短い。下水道局紋章ではないので、建設局の設置だと思われる。千川上水暗渠上にも下水道局設置の蓋はたくさんあったが、このように下水道局の設置ではないと思われる蓋も数多く見られた。
 
 
 

東京都

こちらは下水道局の紋章が入った蓋。「伏越(ふせこし)」と書かれている。何気に珍しい。
 
 
 

伏越蓋のある風景

この蓋は千川上水の暗渠を挟むように2つ設置されている。
 
 
 

伏越図解

「伏越」とは、管路が河川や水路の下を横断する仕組みで、逆サイフォンとも呼ばれる手法だ。図で左側の下水管の水面は右側の下水管の水面より高くなっているため、一旦深い位置を流れた下水がそれよりも高い位置へ向かって流れることになる。石油ポンプに代表される通常のサイフォンでは液体は一旦高い位置を流れるが、「伏越」の場合は一旦低い位置を流れるため、”逆”サイフォンと呼ばれている。
 
ということで、この「伏越」の蓋も、ここに千川上水の暗渠があるという路上の目印のひとつだと言える。
 
 
 

千川親水公園

千川親水公園に到着した頃にはもう日が暮れていたが、珍しい蓋も発見できて満足な一日だった。
 
 
 
関連リンク
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  ●タウン誌巣鴨百選さん
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東京府巢鴨町


東京府北豊島郡巢鴨町

東京府北豊島郡巢鴨町(現 東京都豊島区)
 
町章と思われる紋章が入った蓋。巢鴨町は昭和7年10月1日に東京市に編入されるまで存在した自治体で、現在の豊島区東部、巣鴨・駒込を中心とした地域に相当する。
 
 
 

東京府北豊島郡巢鴨町

こちらは同じ紋章の入った丸い蓋。染井霊園内で撮影した。最近巢鴨町の蓋には縁があるようで、先日見学した蔵前水の館に展示されていたのをはじめ、複数の筋から現役の蓋の設置場所をご連絡いただいたりしている。感謝感激!
 
 
 

東京府北豊島郡巢鴨町

こちらも染井霊園に設置されている蓋で、縁石つきのものだ。
 
 
 

巣鴨3-9

巢鴨町角蓋のある風景。巣鴨3-9周辺に残っているが、最初の再発見がGoogleマップのストリートビューだったというのも特筆に価する。便利な世の中だ。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●巣鴨町(路上文化遺産データベース)
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水源文化都市 ~ 神奈川県津久井町


神奈川県津久井郡津久井町

神奈川県津久井郡津久井町(現 相模原市)
 
「水」をイメージしたと思われるマークが並び、「水源文化都市 津久井」と書かれている。津久井町は津久井湖や宮ヶ瀬湖を有し、文字通り神奈川県の「水源」となっているが、決して「文化?」、「都市??」と聞き返してはいけないらしい。
 
津久井町は2006年3月20日、隣接していた相模湖町とともに相模原市に編入されている。
 
 
 

神奈川県津久井郡津久井町

色違いの蓋。白い色が剥げただけかとも思ったが、よく見ると「水源文化都市 津久井」の文字の色が白黒逆になっているので、もともとこのような色使いの蓋だったのだと思われる。
 
 
 

神奈川県津久井郡津久井町

こちらは彩色されていない蓋。彩色された蓋とは凹凸が逆になっている。
 
 
 

神奈川県津久井郡津久井町

鉄筋コンクリート製の蓋。同じマークが入っている。
 
 
 

神奈川県津久井郡津久井町

最後に金色に彩色された蓋。
 
 
 

通水記念碑

最後の蓋は実は蓋ではなく、下水道通水記念碑にはめ込まれた蓋のレプリカだ。プレートには、「津久井町公共下水道 通水記念 平成7年5月」と書かれている。
 
 
 

津久井湖

津久井湖。治水と取水のために相模川を堰き止めて造られた人造湖。奥に見えるダムは城山ダムで、ダムの上を国道413号線が通っている。
 
以上、撮影は全て2009年12月。
 
 
 
関連リンク
  ●どら焼き親父写真館さん
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  ●悠紀’s缶さん
 



蔵前水の館


蔵前水の館

蔵前水の館
 
以前から機会があれば是非見学してみたいと思っていた蔵前水の館。機会がなければ作ればいいと思い立ち、Twitterで参加者を募って、ついに見学を果たした。
 
蔵前水の館は、下水道幹線(浅草橋幹線)の終了した工事現場を活用した見学施設で、実使用中の下水道幹線内や、深さの違う二つの下水道管を繋ぐドロップシャフトを流れる下水を実際に見ることができる。ただ、見学時間が平日のみで、さらに一人だけで見学するというのも気が引けたため、行ってみたいけどなかなか行く機会のない見学施設のひとつだった。
 
 
 

横綱  序の口

まずは下水道局職員の方の案内で、地下約30mに位置する下水道幹線を目指し、ひたすらに階段を下りる。階段には上から順に、横綱、大関、関脇、・・・と、力士の番付順に名前が付いている。
 
 
 

琴光喜

蔵前水の館と、蔵前水の館に隣接する蔵前ポンプ場は、昭和59年まで大相撲の興行が行われていた蔵前国技館の跡地に建設されており、その縁で蔵前水の館には大相撲に関する展示物も幾つかあった。
 
 
 

浅草橋幹線

地下約30mに位置する浅草橋幹線に到着。下水独特の匂いが立ち込めているが、耐えられないというほどではない。実使用中の下水道管内を見学できる施設としては他に小平市ふれあい下水道館があるが、管の内径が大きすぎて距離感が掴めず、その大きさを実感できなかった。しかし今回は丁度管内の点検作業に立ち会うことができ、下水管の大きさ(内径6.25m)を実感することができた。
 
 
 

ドロップシャフトの上部

下水幹線の見学を終え、展示スペースに案内された。写真は、深さの違う二つの下水道管を繋ぐドロップシャフトの最上部で、枝線を流れてきた下水が螺旋状に回りながら幹線へ注ぐ様子を見ることができた。下水管を垂直に直結してしまうと滝になってしまい、水量が多いと空気が流れずに効率が悪く、さらに水勢が強いままだと管の劣化も進んでしまうため、下水は螺旋状に回りながら幹線へ注ぐようになっている。
 
 
 

再構築主要枝線再構築主要枝線

上の写真の左に見えた蓋。「蔵前一丁目、柳橋一丁目 再構築主要枝線 φ2400」とのラベルが貼られている。この蓋は実使用中で、この蓋の下にはドロップシャフトへ続く枝線が通っているようだ。
 
 
 

古い蓋の展示

待ってましたの蓋の展示。ここには戦前に使われていた古い蓋を中心に、16枚の蓋が展示されていた。設置された状態では確認することのできない蓋の厚さも確認できる。厚さは蓋によってバラバラだ。以下、展示されていた蓋を全て掲載する。
 
 
 

東京府東京市

東京府東京市
下水道局の旧紋章が入った燈孔(ランプホール)の蓋。燈孔とは、管渠内にランプを吊り下げて、付近のマンホールから管渠内の点検を行ったり管渠内で作業する人にその位置を知らせたりする為に設置するものだ。燈孔が戦後新規に設置されることがあったのかどうかは確認できなかったが、少なくとも戦前の東京市の時代にはこの形式の燈孔蓋の仕様が決定されていたようなので、東京市の蓋として掲載した。
 
 
 

東京府東京市

こちらは東京市の時代、昭和4年4月に設置されたという四角い蓋。下水道局の旧紋章が入っている。
 
 
 

東京府東京市

斜めから見ると紋章の形をよく確認できた。中央の丸が大きく足が短いという、古い時代の蓋に良く見られる東京市章(現在の東京都章)の特徴が見て取れる。
 
 
 

東京府東京市

こちらも東京市時代の蓋で、昭和3年から70年以上の長きに渡り使われ続けたという蓋。さすがに磨り減っていて、地紋と紋章が確認しにくい。
 
 
 

東京府東京市

斜めから見ると紋章部分を確認できた。下水道局の紋章ではなく、東京市章がそのまま入っている。マンホールのふた 日本篇(林丈二 サイエンティスト社 1984)によると、下水道局ではなく戦前に存在した土木局による設置の蓋ということらしい。
 
 
 

東京府荏原郡品川町

東京府荏原郡品川町
こちらも磨り減った蓋。品川町下水道の蓋との案内があった。品川町は明治22年に発足し、昭和7年10月1日に東京市に編入されて品川區の一部になっている。
 
 
 

東京府荏原郡品川町

斜めから見ると薄っすらと紋章を確認できた。「品」の字をデザイン化したものを「下水」の文字が取り囲むデザインの紋章のようだ。
 
 
 

東京府荏原郡大崎町

東京府荏原郡大崎町
こちらはほとんど磨耗のない素晴らしい状態の蓋。大崎町は明治22年に大崎村として発足し、明治41年に町制施行、昭和7年10月1日に東京市に編入されて品川區の一部になっている。下水道事業は大正13年に開始されている。
 
 
 

東京府南足立郡千住町

東京府南足立郡千住町
千住町の蓋。千住町は明治22年に発足し、昭和7年10月1日に東京市に編入されて足立區の一部になっている。下水道事業は大正10年に開始されている。
 
 
 

東京府北豊島郡尾久町

東京府北豊島郡尾久町
尾久町の蓋。カタカナの「ヲ」を9個並べて「ヲグ」と読ませる秀逸なデザインの紋章。尾久町は明治22年に尾久村として発足し、大正12年に町制施行、昭和7年10月1日に東京市に編入されて荒川區の一部になっている。下水道事業は昭和2年に開始されている。
 
 
 

東京府豊多摩郡大久保町東京府豊多摩郡大久保町

東京府豊多摩郡大久保町
大久保町の蓋。蓋は上下逆に展示されている。左側の写真が正しい向きの紋章だ。大久保町は明治22年に大久保村として発足、大正元年に町制施行、昭和7年10月1日に東京市に編入されて淀橋區の一部になっている。下水道事業は昭和3年に開始されている。
 
 
 

東京府豊多摩郡大久保町

大久保町の蓋はもう1枚展示されていたが、こちらは磨耗が激しく、紋章の確認が難しい。
 
 
 

東京府北豊島郡王子町東京府北豊島郡王子町

東京府北豊島郡王子町
こちらは以前、実使用中の蓋を見つけたことのある王子町の蓋。こちらの蓋も上下逆に展示されている。左側の写真が正しい向きの紋章だ。王子町は明治22年に王子村として発足、明治41年に町制施行、昭和7年10月1日に東京市に編入されて王子區の一部になっている。下水道事業は昭和3年に開始されている。
 
 
 

東京府北豊島郡高田町

東京府北豊島郡高田町
高田町の蓋。高田町は明治22年に高田村として発足、大正9年に町制施行、昭和7年10月1日に東京市に編入されて豊島區の一部になっている。下水道事業は昭和5年に開始されている。
 
 
 

東京府北豊島郡巢鴨町

東京府北豊島郡巢鴨町
巢鴨町の蓋。巢鴨町は明治22年に発足し、昭和7年10月1日に東京市に編入されて豊島區の一部になっている。下水道事業は昭和4年に開始されている。
 
 
 

東京府北豊島郡西巢鴨町

東京府北豊島郡西巢鴨町
地紋が他の蓋と大きく異なる西巢鴨町の蓋。西巢鴨町は明治22年に巢鴨村として発足し、大正7年に町制施行で西巢鴨町となり、昭和7年10月1日に東京市に編入されて豊島區の一部になっている。下水道事業は昭和6年に開始されている。
 
 
 

東京都

東京都
鉄筋コンクリート製の蓋。鉄筋コンクリート製の蓋自体は昭和初期(戦前)に考案されたものとのことだが、この穴が六つあるタイプの蓋は戦後のものらしい。マンホールのふた 日本篇(林丈二 サイエンティスト社 1984)によると、昭和33年にJIS規格化、昭和44年に下水道局の仕様書に初登場とのことだ。
 
 
 

東京都

鉄筋コンクリート蓋に埋め込む文字と紋章のプレートも展示されていた。
 
 
 

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こちらは平成13年4月より使用されている現行の蓋。
 
 
 

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彩色された蓋も展示されていた。都の花「ソメイヨシノ」はピンク、都の木「イチョウ」の葉は黄色、植物の背後には緑、青い空を舞う都の鳥「ユリカモメ」は白と、それぞれの配色は尤もなのだが、まとめて見るとなんだか毒々しい感じだ。
 
 
以上、ここまでが展示スペースにあった蓋だ。夢のような時間だった。
 
 
 

東京都

蔵前ポンプ所のオフィスロビーにも現行の蓋が展示されていた。この蓋ひとつでずいぶんマニアックな話に花が咲いた。鉄蓋の番号を使って、「じゃあ23-5F-4Bの上で午後1時に」なんていう待ち合わせのできる人がいるとは思いもしなかった。
 
 
 
さらに、蔵前水の館の建物周辺には東京市・東京都の珍しい蓋が幾つか屋外展示されていた。数が多いので、表示させるには以下の「続きを表示/非表示」をクリックして頂きたい。

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関連リンク
  ●神田川・環状七号線地下調節池(駅からマンホール:2010/08/26)
  ●小平市ふれあい下水道館(駅からマンホール:2009/09/12)
  ●東京府東京市(駅からマンホール:2010/12/11)
  ●東京府王子町(駅からマンホール:2010/12/11)
  ●東京府王子町(駅からマンホール:2007/11/03)
  ●東京都区部(駅からマンホール:2008/07/23)
  ●東京都区部(駅からマンホール:2007/07/22)
  ●蔵前水の館(東京都下水道局ホームページ)
  ●社会科見学に行こう!さん
  ●水の豆知識さん
  ●社会科見学とイベント情報ナビ あそぶログさん