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相模国一宮、寒川神社 ~ 神奈川県寒川町


神奈川県高座郡寒川町

神奈川県高座郡寒川町
 
町の花「スイセン」がデザインされている。木彫りのように彫りの深さや細い線で図柄を表現しているが、これは珍しい。というか他では見かけたことがない。
 
 
 

神奈川県高座郡寒川町

こちらは町の木「モクセイ」がデザインされた小型の蓋。
 
 
 

寒川駅

寒川駅。ユーミンが「相模線にゆられて来た」駅はここなのだそうだ。
 
 
 

寒川神社境内

寒川神社の境内。寒川町は相模国一宮、寒川神社の門前町で、茅ヶ崎市藤沢市海老名市厚木市平塚市と周りを5つの市に取り囲まれている。
 
 
 

寒川神社拝殿

寒川神社の拝殿。正月などは特に賑わうということだが、普通の休日でもそれなりに参拝客がいるのは流石だ。
 
 
 

宮山駅

宮山駅。寒川神社へはこちらの駅で降りたほうが近い。
 
 
 
関連リンク
  ●じっく~り選んだお気に入りさん
  ●進め!マンホールの蓋調査隊さん
  ●悠紀’s缶さん
  ●マンホール友の会さん
 



中仙道坂本宿と碓氷峠鉄道文化むら ~ 群馬県安中市


群馬県安中市群馬県安中市

群馬県安中市
 
市の花「ウメ」と市の木「スギ」がデザインされている。前回は偶然見つけた無彩色の蓋を紹介したが、今回は彩色された蓋を見つけた。彩色された蓋は安中市役所付近に設置されていた。
 
 
 

碓氷湖

碓氷湖。直前の記事に書いたアプトの道の途中から散策できる。中仙道坂本宿が名前の由来になっている坂本ダムによって形成されたダム湖。
 
 
 

坂本宿

中仙道に置かれた坂本宿には、現在もそれらしい雰囲気が漂う。
 
 
 

坂本宿

中仙道を挟む商店や民家には、坂本宿が栄えた当時の屋号が掲げられている。
 
 
 

碓氷関所跡

往事は箱根関所と並んで幕府の重要拠点だった碓氷関所跡。現在では番所跡に東門が復元されているだけで、当時の様子をうかがい知ることは難しい。
 
 
 

碓氷峠鉄道文化むら

横川駅近くまで戻り、碓氷峠鉄道文化むらへ。横川駅に隣接した横川運転区跡地に建設された鉄道テーマパーク。
 
 
 

碓氷峠鉄道文化むら

さっき歩いた「めがね橋」の模型。なかなか精巧な作りだ。
 
 
 

碓氷峠鉄道文化むら

屋外には、碓氷峠で活躍した機関車などが展示されている。「お子様から鉄道ファンまでだれもが楽しめる」というコンセプトだけあって、お子様でも鉄道マニアでもない筆者にも十分楽しめた。
 
 
 
関連リンク
  ●群馬県安中市(駅からマンホール:2008/01/06)
 



横軽廃線跡・アプトの道とめがね橋 ~ 碓氷上水道企業団


碓氷上水道企業団

碓氷上水道企業団(現 安中市上下水道部)
 
「碓氷企業団」と書かれた消火栓の蓋。企業団のマークも入っている。
 
 
 

快速碓氷号

横川駅に停車する快速碓氷号。今週末限定で上野駅-横川駅間を運行した。
 
 
 

横川駅

横川駅。もともとは高崎駅から新潟駅を結ぶ信越本線の途中駅だったが、長野新幹線開業後この横川駅と隣の軽井沢駅との間が廃線となり、現在では終端駅になっている。「急勾配の峠『碓氷峠』への玄関口の駅」として関東の駅百選に登録されている。駅前にはアプト式鉄道のラックレールを再利用した排水溝の蓋がある。
 
 
 

シェルパくん

トロッコ列車シェルパくん。長野新幹線の開業と同時に廃止された信越本線の横川駅-軽井沢駅間の下り線の一部を利用して、「碓氷峠鉄道文化むら駅」と碓氷峠の森公園交流館がある「峠の湯駅」との間を運行している。上り線(写真右側)は途中まで「アプトの道」として舗装され、遊歩道になっている。
 
 
 

旧丸山変電所

旧丸山変電所。明治45年に建築され、昭和38年に信越本線の横軽間に新線が開設されるまで稼動していた。その後廃墟と化していたが、2000年から保存修復工事が行われ、現在では「アプトの道」の名所として親しまれている。シェルパくん唯一の途中駅も設けられている。
 
 
 

信越本線旧線のトンネル

「アプトの道」は、途中で信越本線の旧線に入り、古いトンネルをいくつか潜る。
 
 
 

めがね橋

「アプトの道」のトンネルをいくつか潜ると、煉瓦造りの4連アーチ橋「めがね橋」(碓氷第三橋梁)の上に出る。ここが「アプトの道」の終点。下の旧国道まで降りることができ、世界遺産の暫定リスト(富岡製糸場と絹産業遺産群の構成要素)にも載っているその姿を一望できる。
 
 
 
関連リンク
  ●碓氷上水道企業団(駅からマンホール:2008/01/06)
 



天平の花まつり ~ 栃木県国分寺町


栃木県下都賀郡国分寺町

栃木県下都賀郡国分寺町(現 下野市)
 
天平の丘公園内の、淡墨街道を挟んだ花広場の反対側に設置されている、「カラクリ水車」がデザインされている。
 
当ブログでは、マンホールの蓋にデザインされている物・風景は積極的に探し出してなるべくその写真も掲載しているのだが、この「カラクリ水車」の水車小屋は、目の前を通ったのにもかかわらず気づかずに素通りしてしまった。記事を書く段に入って撮った写真を精査したところ、観光用の案内板にその記述があるのを見つけた。マンホールの蓋にデザインするくらいならもう少し積極的にアピールして欲しいものだ、なんて思ったり。
 
国分寺町は2006年1月10日に、南河内町石橋町との新設合併により下野(しもつけ)市になっている。
 
 
 

栃木県下都賀郡国分寺町

こちらは町の花「キク」がデザインされた蓋。小金井駅の東側へ2kmくらいのところ(天平の丘公園とは逆方向)で道に迷っていたら見つけた。
 
 
 

栃木県下都賀郡国分寺町

こちらは町の木「アカソネ」(アカシデ)と町の鳥「ハト」と「町の風景」がデザインされた蓋。新4号国道の周辺で見つけた。
 
 
 

栃木県下野市

こちらは合併後の下野市の市章が入った蓋。今後に期待したい。
 
 
 

下野国分尼寺跡

町名の由来ともなっている下野国文尼寺跡。
岐阜県根尾村の推定樹齢1,500年の淡墨桜の実生苗(みしょうなえ)から育てた桜と、八重桜がたくさん植えられており、憩の場として整備されている。件の水車小屋はこの写真で左斜め後ろを振り向くとある。
 
 
 

天平の丘公園

天平の丘公園の八重桜。丁度見頃で、多くの花見客で賑わっていた。
 
 
 

下野国分寺跡

少し離れた場所にある下野国分寺跡。もちろんこちらも町名の由来になっており、尼寺跡よりも規模は大きいのだが、尼寺跡と違って周辺は公園としては整備されておらず、観光客はほとんどいなかった。この差は何なんだろう。
 
 
 

紫式部の墓

天平の丘公園内にある「紫式部の墓」。手前の案内板には、「もともとこの地方の豪族が(誰かのために)建立した石塔で、明治初期にこの地に移動され、このあたりの地名が『紫』ということからいつしか紫式部の墓と言われるようになったらしい」〔要約〕と書かれている。いいのかそんなんで?
 
 
 
関連リンク
  ●自治医大周辺下水道組合(駅からマンホール:2009/04/18)
  ●マンホール友の会さん
  ●悠紀’s缶さん
  ●鯛の尻尾を奪い取れさん
  ●月刊下水道さん
 



日光街道・下野一里塚 ~ 自治医大周辺下水道組合


自治医大周辺下水道組合自治医大周辺下水道組合

自治医大周辺下水道組合(現 下野市下水道課)
 
栃木県南河内町国分寺町の地域に数多く設置されている謎デザイン蓋。物の本によると、「当組合を構成する南河内町、国分寺町の町花が共に『菊』であることから、その菊をキカガクモヨウでデザイン」〔原文ママ〕ということらしい。
 
自治医大周辺下水道組合は2006年1月10日に、南河内町国分寺町石橋町の新設合併により下野(しもつけ)市が発足すると同時に解散され、その業務は下野市下水道課に引き継がれている。
 
 
 

小金井駅

小金井駅。東北本線(宇都宮線)の駅。駅前にC5738の動輪が保存されている。
 
駅舎と駅周辺は旧国分寺町の区域にあり、東京都民にとっては「国分寺にある小金井駅」と、なんだか訳がわからなくなってしまうが、駅の開業は明治26年で大正13年開業の武蔵小金井駅よりも歴史は古い。
 
 
 

クモエ21001号

駅近く、日本酸素工業の跡地に造られた日酸公園に展示ざれている「救援制御電動自動車クモエ21001」。昭和2年に鋼製国電第1号のモハ30として製造され、昭和42年に救援車に改造、昭和61年に引退・保存されたのだそうだ。
 
小金井駅の傍には小山車両センター(旧小山電車区)があるためか、なかなかマニアックな車両の展示だ。
 
 
 

下野一里塚

こちらも駅近く、国道4号線脇にある日光街道の12番目の一里塚、「下野一里塚」。写真で一里塚に挟まれた砂利道のように見える部分が旧日光街道で、奥に見えるのが現在の日光街道、国道4号線。この旧日光街道の前後は住宅地に挟まれており、この一里塚周辺のみが往時を偲ばせる。
 
 
 
関連リンク
  ●進め!マンホールの蓋調査隊さん