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ISC ~ サンシャインシティ


サンシャインシティ

サンシャインシティ
 
「ISC」の文字を図案化したマークが入っている。「ISC」は「池袋サンシャインシティ」の略であると思われる。
 
 
 

池袋サンシャインシティ

この蓋はサンシャインシティの首都高速側出入口付近と、その反対側にあたるサンシャインシティプリンスホテル正面出入口付近に多数設置されている。
 
 
 

サンシャイン60

サンシャインシティの中核を担うサンシャイン60。昭和53年竣工で、地上60階・239.7mは完成当時東洋一だった。
 
以上、撮影は全て2011年8月。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●夢の入り口でさん
 



帝大下水 ~ 小石川植物園


小石川植物園

小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園本園)
 
「帝大下水」と書かれてた蓋。同じ蓋は東京大学本郷キャンパス内にも多数設置れている。小石川植物園は江戸幕府によって開園された薬草園、小石川御薬園(おやくえん)が起源で、東京大学の設立と同時にその付属植物園となっている。
 
 
 

小石川植物園

園内には「帝大下水」の蓋が6枚設置されているようだった。何れも本館の周辺に設置されている。園内の下水・電気埋設溝については東京大学埋蔵文化財調査室が2010年12月に行った発掘調査の調査略報(PDF)で少し触れられているが、設置時期についての記述は無い。
 
 
 

小石川植物園本館

小石川植物園の本館。竣工は昭和14年なので、「帝大下水」の蓋も同時期の設置と考えるのが自然だろう。
 
 
 

小石川植物園

東京大学本郷キャンパス内の蓋と同じく、立派な縁石に囲まれた蓋もあった。
 
 
 

小石川植物園 小石川養生所の井戸

小石川養生所の井戸。小石川植物園の前身、小石川御薬園は貞享元年(1684年)にこの地に開かれており、そこまで遡ると小石川植物園は日本最古の植物園ということになる。時代劇の大岡越前に出てくる小石川養生所もこの園内に開かれており、その井戸も園内に残っている。この井戸の水は、関東大震災の際に被災者の飲み水としても使われたのだという。
 
 
 

小石川植物園

園内には、現存する東京大学の建築物としては最古とされる旧東京医学校本館も立地している。旧東京医学校は東京大学の前身機関のひとつで、その本館は明治9年、現在の本郷キャンパス内に建設され、昭和44年にこの地に移築されている。現在では東京大学総合研究博物館の小石川分館として、一般に無料で公開されている。
 
 
 

東京大学総合研究博物館小石川分館

博物館小石川分館には、学部・学科を問わず、明治より利用されてきた学術標本が所狭しと陳列されている。
 
 
 

小石川植物園

正門から望む安田講堂の模型。ちょっとカッコイイ。
 
 
 

小石川植物園

こちらは工学部2号館の模型。関東大震災を跨いで大正13年に完成した旧館の上に新館を重ねるという斬新な設計。さすがは工学部、ちょっぴり羨ましい。
 
以上、撮影は全て2011年5月。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●東京帝國大學(駅からマンホール:2008/02/09)
  ●徒然なるままににさん
  ●ジリジリさん
 



赤れんが庁舎 ~ 土木現業所


網走土木現業所

網走土木現業所
 
「北海道庁旧本庁舎」がデザインされている。旧本庁舎は「赤れんが庁舎」の愛称で親しまれており、国の重要文化財にも指定されている。
 
なお土木現業所とは、北海道の河川・道路・海岸等の管理及び整備を行っている役所で、網走土木現業所はオホーツク総合振興局(旧網走支庁)に該当する地域の整備を行っている。
 
 
 

網走土木現業所

色違いの蓋。こちらは黄色いレンガ造り。蓋の周囲を取り巻いている星型の模様は北海道の紋章(道章)で、昭和42年に制定されている。
 
これらの彩色された蓋は遠軽駅周辺に多数設置されている。()
 
 
 

網走土木現業所

こちらは彩色されていない蓋。道章や上下のレンガの部分など、彩色された蓋とは一部凹凸が異なっている。
 
 
 

ぐりぐり写真:赤れんが庁舎
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蓋にデザインされている「赤れんが庁舎」。明治22年に造られているが、明治42年の火災により一度消失している。明治44年に焼け残ったレンガの外壁を基に再建されたが、その際シンボルともいえる屋根上の八角塔は設置されず、昭和43年の北海道百年記念事業でようやく完全な復元が成された。(ぐりぐり写真: 写真にマウスカーソルを乗せると動かせる)
 
 
 

札幌土木現業所

札幌土木現業所
 
札幌土木現業所と書かれた蓋。札幌土木現業所は空知総合振興局と石狩振興局の管轄する地域の整備を行っているようだ。
 
 
 

札幌土木現業所

直径80センチの比較的大きなサイズの蓋。札幌土木現業所の蓋はどちらも岩見沢市内で撮影した。
 
 
 

旭川土木現業所

旭川土木現業所
 
旭川土木現業所の蓋。富良野市内で撮影した。旭川土木現業所は上川総合振興局の管轄する地域の整備を行っているようだ。
 
今回見つけた土木現業所の蓋のデザインはどれも「赤れんが庁舎」を用いたものだったが、地域によっては他のデザインを用いる場合もあるようだ。(例:釧路土木現業所、リンク先はマンホールの面々さん)
 
 
 

ぐりぐり写真:赤れんが庁舎
{“src”:”https://EkikaraManhole.WhiteBeach.org/images/2011.10.14.0/b.jpg”,”width”:”500″,”height”:”341″}

赤れんが庁舎。正面に設置されているのは美唄市出身の彫刻家、安田(かん)さんの作品で、タイトルは「帰門」。現在札幌市内では「街に触れる」という野外彫刻展が開催されており、安田侃さんの作品が市内各所に設置されている。野外彫刻展は11月20日まで行われるとのことだ。(ぐりぐり写真: 写真にマウスカーソルを乗せると動かせる)
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●函館土木現業所(駅からマンホール:2007/12/02)
  ●安田 侃 野外彫刻展 ―街に触れる―(安田 侃さんのホームページ)
  ●―街に触れる―(ようこそさっぽろ 北海道札幌市観光案内)
 



髙島屋セミナー ~ 日本橋架橋100周年・日本橋と東京市章


日本橋架橋100周年・日本橋と東京市章

日本橋架橋100周年・日本橋と東京市章
 
筆者がご案内する髙島屋友の会主催のマンホール鉄蓋をテーマにしたセミナーが、10月22日(土)と11月10日(木)、どちらも午前10時30分から12時30分までの2時間の予定で開催されます。前回は髙島屋日本橋店のセミナー教室で第1回座学を開催いたしましたが、今回は「日本橋架橋100周年記念講座」のひとつとして町歩きのセミナーを開催します。髙島屋日本橋店を出発し、現在は東京都章として使われている戦前の東京市章を取り上げつつ、その紋章が入った鉄蓋や関連建築物を訪ねて日本橋とその周辺を散策する予定です。
 
本講座は髙島屋友の会会員向けの講座ではありますが、会員ではない方もご参加いただけます。参加費は、友の会会員の方は3,465円、一般の方は3,675円となっております。お申し込み・お問い合わせは、日本橋髙島屋本館7階の友の会窓口へ直接お越しいただくか、日本橋髙島屋セミナー事務局(03)3246-2175までお電話でご連絡ください。
 
日本橋周辺にもわずかながら綺麗なデザイン入りの蓋はありますが、今回探索対象の蓋はほとんど「路上文化遺産」に当てはまるような古い蓋、あるいは見過ごしてしまいそうな地味な蓋だけれども、調べてみると非常に奥の深い蓋になります。しかし、町歩きですので、古い蓋だけではなくデザイン入りの華やかな蓋の探し方のコツや筆者が辿り着いた蓋の写真の撮影方法などもご紹介し、古い蓋が気になるという方だけでなくとも楽しめる内容にしたいと思っております。前回の座学では老若男女全て揃った感じでしたので、「場違いかもしれない」といった心配は不要です。知ると少しだけ人生が楽しくなるかもしれない鉄蓋町歩きセミナー、ご興味・お時間のある方は是非ご参加ください。よろしくおねがいします。
 
 
追記
10月22日(土)は天候が思わしくないようなので中止となりました。ご参加希望いただいた皆様にはご迷惑をおかけいたします。また次の機会をお待ちください。
 
 
 
関連リンク
  ●タカシマヤ友の会
  ●日本橋タカシマヤ
  ●駅からマンホール「髙島屋セミナー」の一覧
 



駒沢給水所構内見学会 ~ 東京府澁谷町


東京府豊多摩郡澁谷町

東京府豊多摩郡澁谷町(現 東京都渋谷区)
 
右横書きで、「澁谷町 阻水弇」と書かれた蓋。澁谷町は明治22年に澁谷村として誕生した自治体で、明治42年に町制を施行、その後昭和7年10月1日に東京市に編入されて消滅している。同時に編入された千駄ヶ谷町、代々幡町と共に澁谷區を構成し、そのまま現在の東京都渋谷区の一部となっている。
 
 
 

駒沢給水所

澁谷町の蓋は現在の渋谷区内ではなく、世田谷区内に所在する駒沢給水所構内に現存している。駒沢給水所は、大正時代の人口増加に伴う水不足を解消するために澁谷町が布設した町営水道「澁谷町水道」の施設の一つで、東京市水道局に移管された後、現在は東京都水道局が管理を行っている。
 
2002年に結成された駒沢給水塔風景保存会の主催で毎年10月1日の都民の日に「駒沢給水所構内見学会」が実施されており、筆者もこの機会にこの貴重な近代遺産を見学させていただいた。
 
 
 

東京府豊多摩郡澁谷町

こちらはやや大きめの蓋。右横書きで「澁谷甼 阻水弇」と書かれている。最初に掲載した蓋とは大きさだけではなく、「町」の字が異なっている。
 
 
 

東京府豊多摩郡澁谷町 東京府豊多摩郡澁谷町

「町」の字の比較。「甼」は「町」の異字体で、現在ではあまり見られない書き方だ。
 
 
 

東京府豊多摩郡澁谷町

駒沢給水所構内では現在再整備事業を行っていて、さらに先日襲来した台風の影響もあり、見学できる箇所が限られていた。この蓋は立ち入りが禁止されている場所に見えた蓋だ。「町」の字は最初に掲載した蓋と同じ字体だが、蓋のサイズはこちらのほうがやや大きい。
 
 
 

東京府豊多摩郡澁谷町

こちらは小型の角蓋。「澁水 阻水弇」と見える。他の蓋が右書きであったのに対して、この蓋は左書きになっている。古い蓋を鑑定するうえで右書きか左書きかは重要な手掛かりの一つだが、明らかに戦前の設置である蓋でも左書きのものがあるということは記憶に留めておきたい。
 
 
 

東京府豊多摩郡澁谷町

さらに小型の丸蓋も見つかった。こちらは右書きで「阻水弇」と書かれている。上部の紋章は「澁」の字を図案化した澁谷町の紋章だと思われる。
 
 
 

澁谷町紋章

紋章部分を拡大。判りにくいが「止」の字が3つ輪を描き、さらにその外側を「氵」の三本線が取り囲む形状になっている。澁谷町の蓋は駒沢給水所に水を供給していた砧下浄水場の構内にも残っているようで、綺麗な状態の紋章はそちらで確認できるようだ。Oka Laboratory 備忘録さんのページで確認できるので、こちらも是非ご覧頂きたい。(マウスカーソルを乗せると紋章を重ねて表示)
 
 
 

駒沢給水塔

地面から目を離して空を見上げると、中世ヨーロッパの古城を思わせる堂々とした出で立ちの給水塔が見えた。高さは約30m。「澁谷町」と書かれた蓋はどれもこの給水塔近くに現存している。
 
 
 

駒沢給水塔

給水塔は、ここから澁谷町まで送水するため水圧をかける目的で造られており、写真奥の2号塔が大正12年3月に、手前の1号塔が同年11月に完成している(なぜか2号塔が先)。間に関東大震災が発生しているが、二つの塔に大きな被害はなっかたのだそうだ。「澁谷町水道」は大正13年3月に完成しており、今回掲載した澁谷町の蓋もそれまでに設置されたことになる。
 
 
 

水道布設記念碑

水道布設記念碑。手前の池は駒沢給水所の完成時に存在していたが、水道布設記念碑は昭和2年に造られたのだという。この事実は近年発見された資料により明らかにされたということで、それまでは記念碑も駒沢給水所と同時に造られたのだと考えられていたのだそうだ。
 
 
 

駒沢給水所 第1配水ポンプ所

こちらは昭和6年11月に着工された第1期拡張工事で建設された第1配水ポンプ所。スクラッチタイルが張られ、アールデコ調の装飾も施されており、格調高い造りになっている。
 
 
 

駒沢給水所

上の写真で第1配水ポンプ所の階段下に見えた蓋。縁石に囲まれているが、蓋自体は無地の単調なものだ。もしかするとどこかの時点で交換された蓋なのかもしれない。
 
 
 

駒沢給水所 第1配水ポンプ所

第1配水ポンプ所の内部。年に1回、見学会の実施されるこの日にしか扉は開かれない。
 
 
 

駒沢給水所 第1配水ポンプ所

内部を保護するため窓は全て塞がれているが、もともとは全てガラス窓で、内部はとても明るかったのだという。
 
 
 

駒沢給水所

ポンプ所の内部に設置されている蓋。この蓋もポンプ所が造られた昭和7年に設置されたものだと思われる。網目模様は現在の東京都水道局の蓋のデザインにも通じている。
 
 
 

東京都水道局

ポンプ所の周辺には他にも古い蓋がいくつか確認できた。この蓋には右書きで「排氣弇」と書かれている。また、東京市章(現在の東京都章)を基にしたと思われる亀の子模様も古さを感じさせる。第1期拡張工事の途中で澁谷町は東京市に編入されているので、この蓋は東京市になってから設置されたものなのかもしれない。
 
 
 

東京都水道局

立ち入り禁止区域にも古い蓋はまだまだありそうだった。こちらは半分土に埋もれた「排水弇」の蓋だと思われる。
 
 
 

量水計室

こちらはベンチュリー・メーター(量水計)が格納されていた建物(量水計室)。給水塔と同時期に造られた建物で、老朽化のため長らく内部に立ち入っての見学はできなかったそうなのだが、当時と同じ材料と様式で改修され、今年から見学が可能になっている。
 
 
 

量水計室

こちらがその量水計室の内部。屋根の部分はヒノキで造られている。
 
 
 

駒沢給水所

駒沢給水所から渋谷方面を望んだ写真。現在は閉鎖されている門からは水道道路がまっすぐ続いており、正面には三軒茶屋に建つキャロットタワーが見える。
 
 
 

東京都水道局

上の写真の左下に見える蓋。流量計と書かれた蓋だが、こちらはだいぶ新しそうな蓋だ。駒沢給水所の給水所としての機能は平成11年10月に停止しているので、この流量計も現在は使われていないものと思われる。駒沢給水所は現在、災害時の給水拠点として利用されており、配水塔内部では現在でも水を循環させ綺麗な水を保持しているのだそうだ。
 
 
 

水道道路

こちらは渋谷とは逆方向、砧下浄水場へ続く水道道路。水道道路の散策も面白そうだ。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●駒沢給水塔風景保存会さん
  ●ZERO SPIRITSさん(筆者も写ってる!)
  ●Oka Laboratory 備忘録さん
  ●Kousyoublogさん
  ●世田谷の川探検隊さん