暗渠を辿る ~ 千川上水
千川上水
都の花「ソメイヨシノ」、都の木「イチョウ」の葉と「メダカ」らしき小魚がデザインされている。中央には千川上水の紋章が入っている。この蓋は、現在は暗渠化されて地中を流れている千川上水の上を通る道路、具体的には板橋第一中学校裏に2枚と板橋高校南側の道に(少なくとも)2枚設置されている。
こちらは巣鴨駅前に設置されている「千川上水空気弁・都北部公園」と書かれた蓋。水道局で使われている蓋と同じ形状をしている。千川上水の水は徳川綱吉の命により開削された直後から六義園へ供給されていたが、この蓋はその流路上に設置されたものだと思われる。「都北部公園」は、かつて六義園を管轄していた北部公園緑地事務所のことで、都立図書館のOPACで検索すると、北部公園緑地事務所は平成9年度まで存在しており、平成10年度には南部公園緑地事務所と合併して現在は東部公園緑地事務所になっていることがわかる。
以上のことから、この蓋は水道局ではなく建設局による設置ではないかと推測される。なお、千川上水の六義園への給水は昭和43年に停止されているため、この蓋はそれ以前に設置されたもので、また、現在は使われていないはずだ。この蓋の下にあったと思われる流路は、下水道台帳への記載もない。
巣鴨駅前。右手前の蓋が「千川上水空気弁・都北部公園」の蓋だ。
この日はここから暗渠化された千川上水を辿って、豊島区要町にある千川親水公園まで蓋に注目しながら歩いてみた。
上流へ遡り、千川上水調節池跡に到着。江戸時代には、ここにあった溜池で砂やごみなどを沈殿させた後、飲料水として下谷・浅草方面へ供給していたのだという。幕末には産業用水として王子方面への分水も開始され、昭和46年まで大蔵省印刷局抄紙部(現在の国立印刷局滝野川工場)へ給水されていた。現在は千川上水公園として整備されている。
千川上水公園には、六義園への水の供給を制御していたバルブが現在も残っている。
明治通りを挟んで千川上水公園の向かい側に残る、千川上水分配堰碑。この石碑は明治15年に設置されたもので、当時は重要な水利権であった千川上水の水利権を明確にするために設置されたのだそうだ。石碑の横には千川上水の紋章が入った蓋も見える。
千川上水の紋章が入った古そうな蓋。この蓋については昭和59年に発行されたマンホールのふた 日本篇(林丈二 サイエンティスト社)に掲載されているが、その時点でもう泥が詰まっていて使われていない状態だったようだ。この大きさ(直径60cm程度)の蓋は滝野川6丁目と7丁目の境に4枚残っている。この辺りが暗渠化されたのは昭和3年とのことなので、この蓋はその際に設置され、大蔵省印刷局抄紙部への給水が停止される昭和46年まで使われていたものと思われる。
こちらは大型の蓋。1枚だけ見つけた。
他の蓋は道路の端に設置されていたが、この大型の蓋は道の真ん中に設置されている。現在は普通の道路となっているが、かつてはここに川のように千川上水が流れており、暗渠化された昭和3年からはこの道路の下を流れていた。
暗渠を辿ると、都章が入った蓋もいくつか見られた。通常、下水道局の設置する鉄蓋には下水道局紋章が用いられるが、この蓋には都章が用いられている。従って、この蓋は下水道局ではなく建設局が設置した千川上水に関わる蓋であると思われる。
千川上水の紋章が入った角蓋もあった。
角蓋は板橋駅東口近くに二つ並んでいた。現在の千川上水跡を流れる水流の終点はここで、ここから谷端川放水路に合流して石神井川に放水されている。先に掲載した千川上水分配堰碑の近くにも角蓋が1枚残っているが、車の下になっていて撮影できなかった。
埼京線の線路を越えて板橋駅西口に出ると、三角形の蓋2枚で構成された無印の大きな角蓋が見つかった。
千川上水の暗渠上に設置されており、千川上水に関わる蓋ではないかと思われる。
さらに千川上水を遡ると、東武東上線大山駅近くのアーケード内で都章の入った蝶番付きの大きな蓋が見つかった。この蓋も千川上水暗渠上に設置されており、千川上水に関わる蓋だと思われる。
途中、千川上水が開渠だった時期に発生した水難事故供養のために祭られた、水神様の祠があった。
こちらも都章が入った蓋だが、中央に穴が開いており、都章の足が短い。下水道局紋章ではないので、建設局の設置だと思われる。千川上水暗渠上にも下水道局設置の蓋はたくさんあったが、このように下水道局の設置ではないと思われる蓋も数多く見られた。
こちらは下水道局の紋章が入った蓋。「
「伏越」とは、管路が河川や水路の下を横断する仕組みで、逆サイフォンとも呼ばれる手法だ。図で左側の下水管の水面は右側の下水管の水面より高くなっているため、一旦深い位置を流れた下水がそれよりも高い位置へ向かって流れることになる。石油ポンプに代表される通常のサイフォンでは液体は一旦高い位置を流れるが、「伏越」の場合は一旦低い位置を流れるため、”逆”サイフォンと呼ばれている。
ということで、この「伏越」の蓋も、ここに千川上水の暗渠があるという路上の目印のひとつだと言える。
千川親水公園に到着した頃にはもう日が暮れていたが、珍しい蓋も発見できて満足な一日だった。
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