レインボーブリッジを封鎖せよ! ~ 首都高速道路公団


首都高速道路公団

首都高速道路公団(現 首都高速道路株式会社)
 
「首都高速道路公団」と書かれた大きい蓋。汐留で撮影。
 
首都高速道路公団は首都高速道路を建設・管理していた特殊法人で、2005年9月30日に日本道路公団等民営化関係法施行法により解散し、その業務は首都高速道路株式会社に引き継がれている。
 
 
 

首都高速道路公団

首都高速道路公団の古いシンボルマークが入った蓋。秋葉原で撮影。
 
首都高速道路株式会社に問い合わせたところ、このシンボルマークは「ラーメン橋脚が連続している部分を車両進行方向の斜め下から見たラーメン隅角部をデザイン化したもの」で、1995年まで使用されていたというお返事を頂いた。
 
マンホールのふた 日本篇』(林丈二 サイエンティスト社 1984)にも掲載されており、このシンボルマークは1962年6月に制定されたと書かれている。
 
 
 

首都高速道路公団

こちらは新しいシンボルマーク(トライアングル・ストリーム)が入った蓋。新橋で撮影。このシンボルマークは現在の首都高速道路株式会社のシンボルマークとしても使用されている。
 
首都高速道路株式会社によると、「東京を中心に神奈川、千葉、埼玉の3方面へ伸びる首都高速道路ネットワークと、そのネットワークづくりを通して『ひと・まち・くらし』を支えていくという首都高の姿勢」を表現しており、1995年11月に決定、1996年より導入されたのだそうだ。
 
札幌オリンピックや科学万博つくば、無印良品などの作品がある著名なグラフィックデザイナー、田中一光氏のデザイン。
 
 
 

首都高速道路公団首都高速道路公団

シンボルマークが入った側溝の蓋もある。
 
 
 

東京レインボーウォーク

今日はレインボーブリッジ最上階の高速道路部分を歩くという初のイベント、「東京レインボーウォーク」が開催された。筆者は運良く約4倍の競争率を勝ち抜いて参加してきた。
 
 
 

東京レインボーウォーク

会場へ向かう “ゆりかもめ” から首都高速の入口を見ると、レインボーブリッジは既に封鎖されていた。やればできるじゃないか。
 
 
 

東京レインボーウォーク

筆者は赤組でスタート。それぞれ1,000人の組が、青、黄、黒、緑、赤の順でスタートしたのだが、青組の先頭が出発してから赤組が出発するまでに25分かかった。人多すぎ。
 
 
 

東京レインボーウォーク

行きしなに “ゆりかもめ” から見たレインボーブリッジ入口。
「レインボーウオークのため入口閉鎖中」と表示されている。
 
 
 

東京レインボーウォーク

料金所も閉鎖中。
 
 
 

東京レインボーウォーク

いよいよ高速道路部分に入り、レインボーブリッジを目指す。
 
 
 

東京レインボーウォーク

レインボーブリッジの主塔下に到着。
 
 
 

東京レインボーウォーク

橋を渡りきらずに、二つ目の主塔で折り返してゴールに向かう。
 
 
 

東京レインボーウォーク

東京消防庁による五色の放水が行われていた。
人が多く、立ち止まると危ないのでゆっくり見物するというわけにはゆかないのだが、なかなか面白かった。
 
 
 

東京レインボーウォーク

レインボーブリッジから眺めるお台場の風景。
普通ならわき見運転になってしまうが、今日はその心配は無い。
 
 
 

東京レインボーウォーク

さっきまで歩いていたレインボーブリッジを眺めつつ、お台場海浜公園と潮風公園を抜けてゴールへ向かう。
 
 
 

東京レインボーウォーク

ゴールに到着。終始人だらけだった。
 
 
 
関連リンク
  ●てげやっちゃがな どぅさん
 



偕楽園好文亭 ~ 茨城県水戸市


茨城県水戸市

茨城県水戸市
 
市の木「ウメ」と、偕楽園の「好文亭」がデザインされた消火栓の蓋。
 
 
 

茨城県水戸市茨城県水戸市

同じデザイン構成の小蓋と中蓋。上水道関連の蓋だと思われる。
 
 
 

茨城県水戸市

四角い消火栓の蓋。やはり市の木「ウメ」と、偕楽園の「好文亭」がデザインされている。
 
 
 

茨城県水戸市

同じく横長の蓋。
 
 
 

茨城県水戸市茨城県水戸市

こちらも上水道関連の、古そうな蓋。「制水辨」と書かれている
 
 
 

偕楽園好文亭

蓋にもデザインされている偕楽園好文亭。手前に勝手に写り込んじゃっている人達は、(自称)越後のちりめん問屋の御隠居とそのお供の者達。(合成じゃないよ)(マウスカーソルを乗せると蓋の絵を重ねて表示)
 
その正体は、畏れ多くも先の副将軍、、、ではなくて水戸黄門漫遊一座の皆さん。現在助さん、格さん、町むすめを募集している。
 
 
 

偕楽園好文亭

桜川越しに見る好文亭。米軍の空襲と落雷とで二度焼失しており、現在の好文亭は三代目だ。
 
 
 
関連リンク
  ●茨城県水戸市(駅からマンホール:2009/02/28)
  ●茨城県水戸市(駅からマンホール:2008/06/06)
 



臨時駅、偕楽園駅 ~ 茨城県水戸市


茨城県水戸市

茨城県水戸市
 
市の木「ウメ」がデザインされている。
 
名古屋市下水道科学館には彩色されていない蓋が展示されていたが、当地には彩色された蓋が多数設置されていた。
 
 
 

茨城県水戸市

茨城県水戸市

茨城県水戸市

微妙に色使いが異なる蓋。市章の有無などの細部も異なる。
下二つの蓋は、受け口の部分にMITOの「M」の字が並んでいる。
 
 
 

茨城県水戸市

こちらは彩色されていない蓋。彩色された蓋とは凹凸が一部異なっている。
 
 
 

茨城県水戸市茨城県水戸市

中型の蓋二種。右側の蓋は他の蓋に比べて少しだけ写実的に描かれている。
 
 
 

茨城県水戸市

この紋章の入った蓋も市内に多数設置されていた。『マンホールのふた 日本篇』(林丈二 サイエンティスト社 1984)にも水戸市の蓋として掲載されている。恐らく「ト」が三つで「ミト」と読ませるのだと思われる。
 
 
 

偕楽園駅

きっぷ販売機でその駅名を探しても出てこない偕楽園駅。(ちょっと焦ったよ)
 
偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅で、下り列車のみが停車する。つまり、上野方面に帰るには一旦下り方面の水戸駅まで行かねばならない。これは、偕楽園だけではなく水戸市街へ寄ってもらいたいという地元商店街の要望があったからだという。
 
 
 

偕楽園駅

偕楽園駅の入出場口。偕楽園の目の前、というか偕楽園の中に駅がある感じだ。
 
 
 

偕楽園

日本三名園の一つ、偕楽園。仙奕台(せんえきだい)からの眺望。奥に千波湖が見える。
 
 
 

偕楽園

幕末に水戸藩主徳川斉昭によって造園された偕楽園には、合わせて100種3000本のウメが植えられている。見て楽しむという目的はもちろんだが、欧米列強との戦に備えて大量の梅干を備蓄するという目的もあったんだとか。
 
 
 
関連リンク
  ●茨城県水戸市(駅からマンホール:2009/02/28)
  ●茨城県水戸市(駅からマンホール:2008/06/06)