微笑むカエル ~ 円心寺

円心寺(埼玉県本庄市)
穴の中からカエルがこちらの方を見て微笑んでいる。こまじろうさんの下水道展2004のレポートにも同じカエルが描かれている蓋があるので、寺のオリジナルという訳ではなくどこかのメーカーのキャラクターだと思われる。

上の蓋が境内に設置されていた円心寺の山門。18世紀後半の建立といわれる。円心寺では七福神のうち、福禄寿を祀っている。
関連リンク
●CityDO!さん
円心寺(埼玉県本庄市)
穴の中からカエルがこちらの方を見て微笑んでいる。こまじろうさんの下水道展2004のレポートにも同じカエルが描かれている蓋があるので、寺のオリジナルという訳ではなくどこかのメーカーのキャラクターだと思われる。
上の蓋が境内に設置されていた円心寺の山門。18世紀後半の建立といわれる。円心寺では七福神のうち、福禄寿を祀っている。
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●CityDO!さん
栃木県小山市
「馬」がデザインされている。
小山市のデザイン募集時のホームページによると、「小山市特有のものをデザインすることにとらわれずに審査し、小山氏が繁栄していた頃の中世と同じ時代に発展していた西洋ロマネスク時代の生命感あふれる『馬』のレリーフをデフォルメしたもの」〔要約〕ということなのだそうだ。
変なの。
小山駅。
小山といえば小山遊園地(のCM)が思い出されるが、残念ながら2005年3月に閉園している。遊園地自体が経営悪化したわけではなく、親会社(思川観光)や経営支援企業(ダイエー)が転んだために閉園したというから可哀想だ。
本記事のタイトルにある「キョロちゃん」は森永チョコボールのクェクェいうあのキャラクターのこと。森永製菓小山工場が初代チョコボールを生産したことから、キョロちゃんは小山生まれということになっているのだそうだ。
関連リンク
●下水道マンホール蓋 デザイン募集(小山市ホームページ)
●悠紀’s缶さん
●鯛の尻尾を奪い取れさん
●マンホールの面々さん
●マンホール漫遊記さん
群馬県碓氷郡松井田町(現 安中市)
信越本線の廃止区間、横川駅-軽井沢駅間で、昭和38年まで利用されていたアプト式鉄道のラックレールを再利用した排水溝の蓋。
松井田町は2006年3月18日に安中市との新設合併により新しい安中市になっている。
信越本線、横川駅。電車が到着すると、軽井沢駅行きバスへの乗換え案内がある。「急勾配の峠『碓氷峠』への玄関口の駅」として関東の駅百選に登録されている。
ラックレールを利用した排水溝の蓋は、横川駅前、荻野屋横にある。ある意味贅沢な蓋だ。
ピニオンギアの付いた機関車の動輪。ラックレールと噛み合って滑らずに機動力を得る。
横川駅の終端。長野新幹線が開通するまで、この先には軽井沢駅へ続く線路があった。現在では碓氷峠鉄道文化むらへ続く旧4番線の線路がかろうじて残っている。
関連リンク
●アプト式(Wikipedia)
●横川駅(Wikipedia)
碓氷上水道企業団(現 安中市上下水道部)
信越本線の群馬側の終端である横川駅周辺で撮影。
この周辺は、2006年3月18日に旧安中市と新設合併した旧松井田町の区域だが、旧松井田町の町章でもなく、新安中市の市章でもないマークが入っている。安中市上下水道部さんに問い合わせたところ、前身の碓氷上水道企業団のマークであるとのご返事を頂いた。碓氷(うすい)上水道企業団の頭文字である「う」と「水」の文字を組み合わせたデザインなのだそうだ。
安中市上下水道部さん、お答え頂き有難うございました。
消火栓の蓋にも同じマークが入っている。
駅弁「峠の釜めし」で有名な荻野屋の本店。
長野新幹線が開通するまで、信越本線は高崎駅から新潟駅を結ぶ大幹線であったが、現在では横川駅から軽井沢駅までの急勾配の区間は廃止されている。普通の電車・機関車ではこの急勾配の区間を走れないため、この駅で機関車の連結作業等、時間のかかる作業が行われていた。その待ち時間に買う駅弁の定番が「峠の釜めし」だった。
明治18年創業で、現存する駅弁販売業者としては最古。
峠の釜めし。しっかりした作りの益子焼の釜を模した器に盛り付けられている。
包みには「宮内庁御用達」と書かれているが、皇室専用の釜めしには椎茸の代わりに松茸が入るのだそうだ。
関連リンク
●碓氷上水道企業団(駅からマンホール:2009/04/19)
●群馬県安中市(駅からマンホール:2008/01/06)
●安中市上下水道部
●峠の釜めし本舗おぎのや
●行先不明さん
群馬県(利根川上流流域下水道)
県の花「レンゲツツジ」、県の木「クロマツ」、県の鳥「ヤマドリ」、県の魚「アユ」がデザインされている。
県章が入った蓋。
群馬県の下水道は、
利根川上流流域下水道
利根川左岸流域下水道
利根・渡良瀬流域下水道
利根川佐波流域下水道
の4つの流域下水道に分かれている。
観音塚古墳。
戦中に防空壕を掘ろうとしてこの入り口が見つかったという。
それまで荒らされたことが無かったため、中の財宝の類がそのまま残っていて、貴重な出土品が多数出たのだそうだ。
石室内部を見学できた。
比較的規模の大きな前方後円墳ということだが、入ってみると中はそれほど広くない。
関連リンク
●流域下水道について(群馬県のホームページ)
●鯛の尻尾を奪い取れさん
●マンホール博物館さん