路上の文化遺産 ~ 光明電氣鐵道株式會社


光明電氣鐵道株式會社

光明(こうみょう)電氣鐵道株式會社
 
中央にレールの断面を意匠としたような紋章が入っている古そうな蓋。この蓋は東海道線磐田駅前に設置されている。この蓋について筆者は、戦前のほんの一時期にこの地を走っていたという幻の電気鉄道、光明電氣鐵道の蓋ではないかと推測している。
 
この蓋の詳細について、先日の静岡○ごとワイド!の番組スタッフの方にも少し調べていただいたのだが、磐田市埋蔵文化財センター職員の方もご存じなかったとのことで、もしかすると筆者が第一発見者なのかもしれない。
 
 
 

磐田駅

磐田駅北口。蓋は左側に見える「くれたけインいわた」の看板の前に設置されている。正確な設置場所はマンホールマップで確認できるが、人通りのとても多い場所だ。磐田駅の利用者は1日あたり約8,000人とのことなので、少なく見積もっても毎日数千人程度に踏まれているのではないかと思う。しかし、誰も気がついていないようだ。
 
磐田駅は明治22年に中泉駅として開業し、昭和17年に磐田駅へと改称されているが、光明電氣鐵道はその中泉駅に隣接して建てられた新中泉駅を起点としていた。
 
 
 

光明

蓋中央の意匠部分を拡大。中央のレール断面を取り巻く紋は中陰松皮菱と呼ばれるもので、この紋は「中陰松皮菱に軌条」と呼べそうだ。中陰松皮菱は4つの稲妻にも見えるので、電車(電気を動力とする鉄道)を動かす鉄道会社の紋章の構成要素として使われることも多いようだ。そしてさらにその外側を「光明」の文字が囲んでいるように見える。(マウスカーソルを乗せると「光明」の部分を強調表示)
 
 
 

二俣町駅

こちらは二俣町駅の開通祝いの様子を撮影した写真。神田公園前駅と二俣町駅間が開業した、昭和5年の撮影ではないかと思われる。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
光明電氣鐵道は大正15年4月に半ば強引に起工、資金がなかなか集まらずに工事は遅れ、昭和3年11月に新中泉駅と田川駅間が開業した。最終的に写真の二俣町駅まで延伸・開業され、その先の工事も行われていたが、昭和10年1月には料金滞納による送電停止により全線が運転休止となり、同年中に全区間廃止、昭和14年には会社も解散されている。電車が走っていたのは約6年半のみで、幻の鉄道と呼ばれる所以である。
 
 
 

二俣町駅舎とホーム

こちらは終点となっていた二俣町駅の駅舎とホーム。送電線も見える。設立時はここからさらに北にあった光明村(現 浜松市)までを繋ぐ予定で、会社名もその光明村からとっており、経営が厳しい中工事もほとんど完了していたようだが、結局開業するには至らずに廃業して未成線となっている。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

車内風景

当時の車両内の風景。写真撮影が一大イベントだったようで、皆できる限りのお洒落をしている様子が伝わってくる。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

起工式

こちらは起工式の様子。大正15年の撮影だと思われる。この写真で注目すべきは後方に見える「祝・起工式」の看板だ。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

光明電氣鐵道光明電氣鐵道

看板部分を拡大。蓋に入っている「中陰松皮菱に軌条」の紋、さらに丸と四角の違いがあるものの、その紋を「光明」の文字が取り囲むデザインがはっきり写っている。この蓋が光明電氣鐵道のものであることは確実のようだ。
 
 
 

沿線案内(表紙)

こちらは磐田市立図書館所蔵の「光明電氣鐵道 沿線案内」。図書館の普通の蔵書であり、誰でも閲覧することができる。
 
 
 

沿線案内

沿線の様子が絵巻物のように描かれている。手前に見えるのは天竜川で、奥に富士山も見える。左側には秋葉山・光明山に秋葉神社、中央付近には獅子ケ鼻公園、右側には駿河湾に海水浴場と、沿線の名所が所狭しと描き込まれている。
 
 
 

沿線案内(新中泉駅周辺)

新中泉駅周辺、現在の磐田駅周辺の様子。東西を走る東海道本線はまだ電化されておらず、機関車が煙を上げながら走っている様子が描かれているが、光明電氣鐵道の線路を走っている車両は電車で、パンタグラフも見える。天竜川の対岸を走っていた遠州電氣鐵道、現在の遠州鉄道が当時既に電化されていたが、この時代に電化された地方路線というのは珍しかったようだ。
 
 
 

天竜二俣駅

天竜浜名湖線、天竜二俣駅。開業は光明電氣鐵道廃線後の昭和15年4月だが、天竜浜名湖線のこの駅付近の鉄道用地は光明電氣鐵道の廃線跡地を転用している。
 
 
 

二俣口駅跡

天竜二俣駅に隣接する空き地には、古い(といっても戦後の)車両が保存されているが、この辺りももともとは光明電氣鐵道の廃線跡地で、この写真の右奥に見える薄緑色の建物の前には光明電氣鐵道二俣口駅のプラットホームも残っている。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●この記事に対する反応(Twitter)
  ●光明電気鉄道(Wikipedia)
  ●山さ行がねがさん
  ●街と鉄道さん
  ●静岡ふるさと発見マガジン「トリップ」さん
  ●09 Photo-Railさん
  ●磐田のお宝見聞帳さん
  ●日本鉄道切符公園さん
  ●トリップ管理人の部屋さん
  ●“Phi”がつれづれなるままに書くブログさん
 

この記事へのコメント 10件

  1. 駅からマンホール 駅からマンホール より:

    補足。
     
    本当に戦前に造られ設置されたものなのか、そもそも用途は何なのか、この蓋については疑問がまだ残っているのですが、その検証材料として幾つか資料を並べてみます。
     
    Wikipediaによると、光明電鉄が廃線となってから磐田駅は2回改築されており、1回目は昭和32年10月、2回目は平成12年1月です。遠州中泉府八幡宮のページには昔の磐田駅の写真が掲載されていますが、改築の前後で駅周りの風景はだいぶ変化しているようです。そんな大規模な再開発を経て、今なお戦前に設置されたような古い蓋が残っているものなのかという疑問が湧いてきます。
     
     

    蓋周りの舗装

    検証のため、蓋周りの舗装を確認してみます。蓋の周辺に同心円を描くような異なった舗装が見えます。

     
     

    蓋周りの舗装

    蓋のすぐ外側の舗装は比較的新しく、その外側は少し古い印象を受けます。写真では全くわかりませんが、蓋の穴から内部を窺うと、深いところ(50cm~1mくらいか)に水面のような反射が見え、内部には水が溜まっているようでした。

     
     

    近くにあった古い蓋

    こちらも磐田駅周辺で見つけた比較的古い蓋です。縁石の質感が、光明電鉄の蓋の外側をとり囲む古いと思われる舗装部分とよく似ています。ちなみに、マンホールの周辺をこういった縁石で囲う方法は、東京帝國大學松竹の蓋など戦前に設置された蓋によく見られる特徴です。

     
    他に感想・推測として、

    • 戦前に造られた事が確かな他の蓋と比べても、質感・デザイン・磨耗具合から古いものなのは確かなようだ
    • 蓋の周りには隙間を埋めるための追加的舗装がされているようだが、その下の素地は昔のままのように見える
    • モニュメント的なもの(非実使用)だとすると、蓋の下に深い空間があることはおかしい
    • 水が溜まっていることから、防火貯水槽として造られたことが推測される
    • 駅前の土地については、市の管理なのか国鉄・JRの管理なのか曖昧なこともあるのではないか
    • モニュメントとして設置されたものだとすると、役所や埋蔵文化財センター、巷の廃線愛好家が知らないということは考えにくい

    といったことも挙げておきます。
     
     
    判断を下すには情報が少なすぎますが、以上の情報から、「この蓋は戦前に防火貯水槽の蓋として実際に設置されたもので、駅前の再開発の際には管理者が曖昧だったことから撤去されずに残り、追加舗装のみ行われ、誰の管理下にあるのか不明なまま現在に残った」と推測しました。
     
    蓋を開けて地下構造と蓋の裏側を確認すれば決定的な情報を得られるはずで、静岡○ごとワイド!の際、番組製作会社から市へ蓋を開けて中を確認できないか事前に要請を出していたのですが、人通りの多い場所とのことで許可が得られなかったそうです。
     

  2. Higurasi より:

    こんばんは~
    まさに路上の文化遺産ですね。
    来歴は分からなくても、古いマンホールには間違いなさそうですね。
    デザインものだけでなくてこういうのにも目を向けると面白そうです(^_^;

  3. Phi より:

    どうも初めまして。私のブログにトラックバックしていただきありがとうございます。

    光明電気鉄道については地元民ということからも興味があり、私も以前記事を書いたのですが、マンホールについてはこの記事で私も初めて知りました。
    また、私も初めてみる写真がいくつもあり、光明電気鉄道の歴史を知る上でもこの記事は大きな意義があるのではと思います。

    私(25歳)が中学生くらいのころまでだったかと思いますが、今のくれたけインの場所に、全然使われていなかったホームと線路と不自然な空き地が以前はありました。当時はただ謎に思っていただけでしたが、今考えるとあそこが新中泉駅だったのかもしれません。

    あと、このマンホールが駅から離れたもっと先のほうにもあるかもしれません。市内には当時の線路跡に沿った道路があったり、光明電気鉄道の跡を記した看板がある場所もあります。磐田市外でも現存の可能性が考えられます。

    それでは失礼いたします。

  4. 駅からマンホール 駅からマンホール より:

    コメント(宣伝も)ありがとうございます。この蓋と光明電鉄についてはもう一度じっくり調査をしてみたいと思っています。駅前にレンタサイクルもあるようだし。

  5. AKIO より:

    コンニチハ!光明電鉄(?)のマンホール蓋とても興味深く拝見しました。
    私は以前、ヤハマで働いていたことがあり、その時に光明電鉄の伝説(磐田では伝説です)を聴き、とても興味を持ちました。
    アノ時代に!アノ山奥に!電車を!!はしらせた事実にはほんとうに驚嘆です。
    その後、二股のホーム跡やトンネルを見に出かけたり、見付付近を歩いたりしましたが、残っているものは圧倒的に少なく、今回、こちらで拝見したマンホール蓋は、”山さ行”さんの”大谷隧道レポ”、以来の発掘と思います。
    地元の行政などは”認識”していないと思いますので、保存の為にもいちどしかるべきところへ一報されては如何でしょうか?!?
    Plus>他のマンホール蓋もとても楽しめました^^)

  6. 駅からマンホール 駅からマンホール より:

    「伝説の電氣鐵道」ロマンがありますよね。

    件の蓋については、静岡第一テレビを通じて磐田市埋蔵文化財センター(磐田市教育委員会文化財課)には連絡しているのですが、その後どのような扱いになったのかは不明です。私も気になっているので、折を見て再度連絡しようかと思っています。

    通常役目を終えたマンホールの蓋は1トンあたり30,000円の鉄くずとして消えてしまうそうです。私は鉄蓋が骨董品のように扱われることを目指し草野の根運動を行っているのですが、場合によっては自分で買い取ってでも保存しておきたい蓋ですね、この蓋は。

  7. 磐田商工会議所 より:

    こんにちは。
    光明電鉄について調べていたらこのブログに辿り着きました。
    私たち磐田の人間でも知らなかった情報がたくさんあり、驚きました。
    さて、私事ですが今年度より光明電鉄について当所会報にて連載する予定なのですが、
    このサイトに載っている情報を引用させて頂きたいです。
    勿論、文末には参考サイトとして掲載させて頂きます。
    いかがでしょうか?

  8. 駅からマンホール 駅からマンホール より:

    ご連絡ありがとうございます。是非御使いください。

    注目されなければ1トンあたり数万円の鉄屑として中国へ売られてしまう運命ですので、各方面に認知されることは大変嬉しいです。鉄屑となるか文化遺産となるかは地元の方々の認識次第ですので、今後とも保護ひいては保存されるよう是非ともよろしくお願いいたします。

  9. 磐田商工会議所 より:

    ありがとうございます。では参考にさせて頂きます。
    私自身も毎朝通勤で駅を使っていながら、
    このような歴史があるとは知りませんでした。
    磐田市民の方々にこのことを知って頂くためにも、
    面白い記事にするため頑張りたいと思います。

    他の記事ももちろん面白かったです。
    是非、また静岡県磐田市にお越し下さい。

  10. ねこまんま より:

    2015年12月に、マンホールを見に行ったのですが、
    磐田駅前の、ロータリー周辺整備で消失していました。
    このマンホールは、ありませんでしたが、
    かわりに新しいそうなマンホールがありました。
    時代だなーっと、思いました。(泣)

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