今日で413周年 ~ 岐阜県関ケ原町


岐阜県不破郡関ケ原町

岐阜県不破郡関ケ原町
 
町の花「ウメ」、町の木「スギ」と武将の「兜」がデザインされている。関ケ原町は関ヶ原の戦いの主戦場だったことで有名な町で、413年前の本日、西暦1600年10月21日(旧暦では9月15日)朝に開戦され、その日のうちに決着が着いたのだそうだ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町岐阜県不破郡関ケ原町

彩色されていない蓋。彩色されたものと凹凸は同じようだ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町岐阜県不破郡関ケ原町

上水道の蓋2種。あまり見かけないタイプの蓋だ。
 
 
 

岐阜県不破郡関ケ原町

同じく上水道の、空気弁の蓋。把手が付いていて簡単に開けられるようになっている。
 
 
 

関ヶ原駅

関ヶ原駅。東海道本線の駅で岐阜県最西端の駅でもある。関ヶ原駅-大垣駅間についてはやや複雑な事情から、正式な下り線が間にある垂井駅を迂回していて、その垂井駅を通っている下り線は垂井支線という支線になっているという、書いている本人も何を書きたいのかわからなくなってしまう小ネタがあるのだが、このブログは鉄道ブログではないので詳しくはWikipediaの該当項目を参照されたし。
 
 
 

飲料用防火水槽

配水塔らしきものにも合戦のイメージが描かれている。関ヶ原の合戦というよりは、毎年この時期に開催される「関ケ原合戦祭り」をイメージしているようだ。
 
 
 

飲料用防火水槽

「飲料用防火水槽」なんだそうな。
 
 
 

関が原歩道橋

国道21号線(中山道)を歩いていると歩道橋が見えてきた。ただ左右の階段が見えず、ちょっと不思議な風景。
 
 
 

関が原歩道橋

別世界に繋がっていそうな雰囲気。
 
 
 

関が原歩道橋

反対側から。表通りとは全く異なる雰囲気が面白い。
 
 
 

関ヶ原名神歩道橋

こちらは国道365号線に架かる関ヶ原名神歩道橋。
 
 
 

関ヶ原名神歩道橋

この歩道橋の特徴は一直線なところ。歩道橋は今のところ専門外だが、関ケ原町には見ていて楽しくなる歩道橋が多かった。ちなみにこの一直線タイプの歩道橋、環七足立系なんて名前が付いていたりする。
 
以上、撮影は全て2011年7月。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●鯛の尻尾を奪い取れさん
  ●マンホール友の会さん
  ●☆Now&Here☆日本ぐるりん旅日記さん
  ●Japanese manhole coversさん
  ●ゼロ・ポイント・フィールドさん
 



下水道の日一般公開 ~ 中川水循環センター


中川水循環センター

中川水循環センター
 
また下水道の日関連の更新。今回は9月9日に見学した中川水循環センターのレポート。
 
その前に何故9月10日が下水道の日なのかという話にけりをつけておく。前回の記事で、下水道の日は昔からある台風襲来の特異日の一つである二百二十日を念頭に決められたのではないかと書いた。実際下水道の日の由来について検索してみると、幾つかの自治体のホームページで二百二十日との関連について触れられている。しかし下水道の日(制定時は全国下水道促進デー)が制定された1961年を含め大分先(21世紀中頃)まで、基本的に二百二十日は9月10日ではなく9月11日になるのだ。二百二十日を念頭に置いたのならば、何故9月11日ではなくて9月10日なのか、最後の疑問が残った。
 
ここで原点に立ち戻る。台風襲来の特異日は、八朔・二百十日・二百二十日の3つだ。そのうちの一つ八朔(旧暦の8月1日)については、新暦に直すと年によるバラつきが多いので除外して考えていたのだが、制定時の1961年に八朔が何日になるのかを調べてみたところ、何と9月10日だった。しかもこの日は日曜日、イベントを開催するには適切な日だ。というわけで、下水道の日が9月10日とされた由来は「1961年の八朔を記念日とした」と結論付けておく。
 
 
そもそも、天候の悪くなる可能性の高い日にイベント(記念日)を設定するのはどうかとも思うが、この日は前日の雨も上がりいい天気だった。
 
 
 

中川流域下水道

中川流域下水道
 
前日の見学は休日だというのに一人だったが、今回は他に参加者もおられた。この蓋は管理棟の待ち合わせ場所に展示されていた。「中川の投網漁の風景」がデザインされている。中川水循環センターは、その名の通り中川流域下水道の処理場だ。
 
 
 

中川水循環センター

管理棟からの眺め。沈砂池→ポンプ→最初沈殿池→反応槽→最終沈殿池→消毒槽→放流という流れはすっかり覚えた。
 
 
 

中川水循環センター

最終沈殿池。ここまで来ると透明度の高い綺麗な水になっている。中川水循環センターでは高度処理を導入しているため、汚水がここまで来るのに他の処理場よりも短い時間で済むとのことだ。さらに処理槽が2階建ての構造になっていることや、放流水を用いて実験的に水力発電を行なっていることなど、興味深い話を幾つか伺えた。
 
 
 

中川水循環センター

といっても筆者の興味はやはりこちら。
 
 
 

中川水循環センター

流域自治体の蓋の展示コーナーだ。ここには17の自治体と流域下水道関連施設、併せて19枚の蓋が展示されている。展示されている蓋の自治体は以下の通り。なお、長くなるので今回は流域下水道関連の蓋のみを取り上げる。
 
      ・中川下水処理場(中央幹線)
      ・川口市(川口幹線→中央幹線)
      ・三郷市(中川幹線/三郷幹線→中央幹線)
      ・吉川市(中川幹線)
      ・松伏町(中川幹線)
      ・庄和町(中川幹線)
      ・八潮市(中央幹線)
      ・浦和市(浦和幹線→中央幹線)
      ・草加市(中央幹線)
      ・越谷市(中央幹線)
      ・春日部ポンプ場(杉戸幹線/中央幹線)
      ・春日部市(杉戸幹線)
      ・宮代町(宮代幹線→杉戸幹線)
      ・杉戸町(杉戸幹線)
      ・幸手市(杉戸幹線)
      ・岩槻市(白岡幹線/岩槻幹線→杉戸幹線)
      ・伊奈町(伊奈幹線→白岡幹線)
      ・蓮田市(白岡幹線)
      ・白岡町(白岡幹線)
 
 
 

中川流域下水道

「中川下水処理場」と書かれた蓋。埼玉県は現在、下水処理場(終末処理場)のことを「水循環センター」と呼んでいるが、この蓋はそれ以前に造られたものかもしれない。
 
 
 

中川流域下水道

同じ図柄だが「春日部ポンプ場」と書かれた蓋。ただ、実際にこの蓋が春日部ポンプ場(春日部中継ポンプ場)に設置されていることはないと思われる。
 
 
 

これら展示されている蓋は、下水道幹線を模したライン上に設置されている。ライン上には幹線名も記載されており、なかなか凝っている。
 
 
 

中川水循環センター

各自治体から幹線やポンプ場を経由し、中川水循環センターを経て、最後は鯉の泳ぐビオトープへと繋がっている。
 
 
 

中川水循環センター

同じ図柄の蓋は展示場所近くのトイレ脇にも2枚設置されていた。こちらは実使用されているようだ。
 
 
 

中川流域下水道

でも名無し。
 
 
 

中川流域下水道

こちらは岩槻市内で撮影した彩色されていない蓋。
 
 
 

中川流域下水道

三郷市内、中川水循環センター近くで撮影した親子蓋。
 
 
 

中川流域下水道

こちらは吉川市内で撮影した蓋。「流・域・下・水」の文字が入っている。もちろん中川流域下水道の蓋だが、荒川左岸南部流域下水道など埼玉県内の他の流域下水道でも同じデザインの蓋が使われている。
 
 
 

中川流域下水道

中川水循環センター内に設置されていた蓋。中央に入っているのは埼玉県章。
 
 
 

中川流域下水道

彩色された蓋は中川水循環センター内でしか見られないのかというとそうではなく、埼玉県立大学近くに1枚設置例がある。「チュⅡ」って何だ?
 
 
 

場所はここ。マンホールマップでも確認できる。しかし何故こんな所に?
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●元荒川水循環センター(駅からマンホール:2013/09/08)
  ●荒川水循環センター(駅からマンホール:2012/10/13)
  ●荒川右岸流域下水道(駅からマンホール:2011/01/26)
  ●古利根川流域下水道(駅からマンホール:2008/11/15)
  ●荒川左岸北部流域下水道(駅からマンホール:2008/07/06)
 



下水道の日の展示 ~ 埼玉県熊谷市


埼玉県熊谷市 下水道の日の展示

埼玉県熊谷市 下水道の日の展示
 
9月10日の下水道の日からひと月以上経ってしまったが、その下水道の日のレポート。前回の記事で何故この日が下水道の日になったのかよくわからないと書いたが、ちゃんと調べてみた。
 
先ず、昔より台風襲来の特異日というものがあり、それは八朔・二百十日・二百二十日の3つだ。これらは農家の三大厄日とも呼ばれているようだ。八朔は旧暦の8月1日で、新暦だと年により8月末から9月末辺りの約1ヶ月の範囲のどこかに当たる。二百十日と二百二十日は雑節の一部で、立春を起算日としてそれぞれ210日目と220日目、それぞれ9月1日と9月11日(年によって±1日のずれがある)に当たる。なお、二百十日は夏目漱石の小説の題材にもなっている。
 
下水道の日(制定時は全国下水道促進デー)を決めるにあたって台風襲来の特異日が適当とされ、八朔だと新暦で指定するのが難しく、二百十日だと防災の日や新学期の開始日と重なるため、残る二百二十日を念頭に決定したのではないかと思われる。要は昔からある台風襲来の特異日の一つを下水道の日としたということだ。(何故9月11日ではないのかという疑問は残る。ちなみに近年では二百二十日は9月11日だが、21世紀後半は9月10日になることのほうが多くなる。また近年でも閏年の場合は9月10日になる。) ← 一応解決しました
 
国土交通省のページには「台風シーズンである210日を過ぎた220日(立春から数えて)が適当であるとされた」とだけ説明されているが、これではよくわからない。
 
前置きが長くなったが、今年の下水道の日は熊谷市役所で下水道の日に合わせて展示されていたデザインマンホールの蓋を見に行った。
 
 
 

埼玉県熊谷市

埼玉県熊谷市
 
「荒川清流」、「熊谷さくら祭」(市の花)、「熊谷花火大会」、市の魚「ムサシトミヨ」がデザインされた熊谷市の蓋。熊谷市のホームページには少々毒々しい色遣いの蓋が載っているのでそれを期待していたのだが、実物はそうでもなかった。
 
 
 

埼玉県熊谷市

埼玉県大里郡妻沼(めぬま)(現 熊谷市)
 
町の花「キク」、町の木「ケヤキ」、「利根川」に架かる「刀水橋」と「グライダー」がデザインされた妻沼町の蓋。なお妻沼町は2005年10月1日、熊谷市と大里町との新設合併により新しい熊谷市になっている。同時に合併した大里町と、その後2007年に編入された江南町にはそれぞれデザイン蓋があったようだが、ここには展示されていなかった。(リンク先は鯛の尻尾を奪い取れさん)
 
 
 

埼玉県熊谷市 下水道の日の展示

それぞれの蓋の解説。
 
 
 

埼玉県熊谷市 下水道の日の展示

折角なので裏側も覗いてみた。「寄贈 日本鋳鉄管㈱ 日之出水道機器㈱」とあった。
 
 
 

埼玉県熊谷市 下水道の日の展示

展示用の蓋は本物の蓋ではないこともあるそうだが、これらの蓋は本物と同じ形状のようだ。
 
 
 

ポケットティッシュ

お土産に荒川左岸北部流域下水道管内のデザイン蓋がプリントされたポケットティッシュを頂いた。
 
 
 

埼玉県熊谷市

こちらは熊谷駅から市役所へ向かう途中にあったコンクリート蓋。このタイプのコンクリート蓋を「住宅公団型」と呼んでいる資料がどこかにあったような気がするのだが失念。どなたかご存知の方がいらしたらご一報お願いします。なお住宅公団の流れを汲む現在の「都市再生機構型」という呼称は、現在でも製造各社のパンフレットで確認することができる。(もちろん写真のような古いタイプの蓋は掲載されていない)
 
 
 

埼玉県熊谷市

おまけに消火栓の蓋。タグが付いている。
 
 
 

埼玉県熊谷市

角型の消火栓の蓋。丸い蓋と同じくこのデザインの消防車は多分日之出水道機器㈱のもの。
 
 
 

今年の9月10日は火曜日、この日は早朝に熊谷へ行き、昼はマンホールナイト併催の街歩きが参加する新宿フィールドミュージアムのミーティングに参加した。その後出社して仕事、超エクストリーム出社。といっても普段からこんな感じだが。
 
というわけで、今週末には街歩き、イイフタの日には第5回マンホールナイトが開催され、併せて蓋の写真作品も募集しているので、どしどし参加・応募して盛り上げてゆきましょう。
 
 
 
関連リンク
  ●埼玉県熊谷市(駅からマンホール:2008/09/30)
  ●埼玉県妻沼町(駅からマンホール:2010/04/03)
  ●埼玉県熊谷市(駅からマンホール:2010/04/03)
  ●埼玉県熊谷市(駅からマンホール:2010/04/03)
  ●元荒川水循環センター(駅からマンホール:2013/09/08)