電話番号入りの蓋 ~ 日本石油化学株式会社


日本石油化学株式会社

日本石油化学株式会社(現 JX日鉱日石エネルギー株式会社)
 
連絡先まで書かれたガス関連の蓋。電気防食とは、ガス管の傍に陽極を設置し、防食電流を流すことでガス管の腐食を防止する技術のことで、この蓋の下にはその防食電流を制御あるいは保守するための設備があるものと思われる。
 
ちなみに、日本石油化学株式会社は日石→日石三菱→新日石→ENEOSとコロコロ名前の変わったガソリンスタンドの関連会社で、現在はJX日鉱日石エネルギー(ENEOS)と同じ会社になっている。
 
 
 

日本石油化学株式会社

こちらの蓋には電話番号まで入っている。この蓋を見て実際に電話をかけたことのある人はいるのだろうか?
 
 
 

浅野駅

この日は鶴見線浅野駅から鶴見線沿線を歩いた。写真は浅野駅の黒猫さん。浅野駅は鶴見線の本線と海芝浦支線との分岐駅で、写真の左側が海芝浦支線、右奥が本線となっている。
 
 
 

浅野駅

浅野駅。駅名は、鶴見臨港鉄道の設立者で、浅野財閥の創設者でもある浅野総一郎にちなんでつけられた。
 
 
 

安善駅

安善駅。この駅で本線と大川支線とが分岐する。駅名は、安田財閥創業者であり、鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を支援した、東大の安田講堂で有名な安田善次郎にちなんでつけられた。
 
 
 

武蔵白石駅

武蔵白石駅。日本鋼管創業者の白石元次郎にちなんで駅名がつけられた。
 
 
 

大川駅

大川駅、大川支線の終着駅。駅名は製紙王と呼ばれた大川平三郎にちなんでいる。鶴見線の駅名はこんなのばっかり。
 
 
 

大川駅周辺

大川駅に隣接する三菱化工機本社にはかつて専用線が続いていたようで、現在でも門の前には線路が残っている。他にも昭和電工や日清製粉へ続く専用線もかつては存在しており、その名残を見ることができる。
 
 
 

大川駅周辺

線路の端には非常に簡単な踏み切りが設置されているが、2008年3月のダイヤ改正で貨物列車の設定が廃止されてからは使われていないようで、荒れ始めていた。
 
 
 

大川駅

踏み切りから駅舎を臨むとまるで廃駅のようだ。都心近くにこんな駅があるというのも面白い。
 
 
 

大川駅周辺

駅舎の反対側はこんな感じ。線路の上に何かの支柱が乗っかっている。使われなくなった線路はあっという間に荒れ果ててしまうようだ。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
 



埼玉県鷲宮町


埼玉県北葛飾郡鷲宮町埼玉県北葛飾郡鷲宮町

埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現 久喜市)
 
町の花「コスモス」がデザインされている。
鷲宮町は2010年3月23日、久喜市、菖蒲町、栗橋町との新設合併により、新しい久喜市になっている。
 
 
 

埼玉県北葛飾郡鷲宮町

こちらは彩色されていない蓋。彩色された蓋と比べると、花の中心に描かれたおしべ・めしべの数がちょっと多い。
 
 
 

埼玉県北葛飾郡鷲宮町埼玉県北葛飾郡鷲宮町

小型の蓋2種。デザイン構成は同じ。
 
 
 

埼玉県北葛飾郡鷲宮町

こちらは久喜地区消防組合と書かれた消火栓の蓋。鷲宮町の町章も入っている。この蓋は長島鋳物㈱の製品。
 
 
 

埼玉県北葛飾郡鷲宮町

こちらも消火栓の蓋。日之出水道機器㈱の製品。
 
 
 

埼玉県北葛飾郡鷲宮町

同じく消火栓の蓋。こちらは㈱トミスの製品。同一地区で様々な消火栓の蓋を見ることができた。そのうち消火栓の蓋特集というのもやってみたい。
 
 
 

東鷲宮駅

宇都宮線東鷲宮駅。彩色された蓋はこの駅の裏側の通りに設置されていた。改札はこちら側(西側)にしかなく、蓋のある駅の東側に出るには地下道で線路を渡らないとならない。
 
 
 

コスモスふれあいロード

この日は東鷲宮駅からコスモスを眺めつつ鷲宮神社までを散策した。
 
 
 

コスモス

町の中心を流れる葛西用水路沿い、コスモスふれあいロードにはコスモスが延々と植えられており、ちょうど見頃だった。
 
 
 

鷲宮神社

鷲宮神社に到着。
 
 
 

鷲宮神社

関東最古の大社とも言われる落ち着いた雰囲気の境内だ。
 
 
 

鷲宮神社

鷲宮神社

絵馬は相変わらずこんなのばかり。まだまだ人気は衰えていないようで、今年の初詣の参拝客数ではついに川越の喜多院を抜き、大宮の氷川神社に次いで県内二位になっている。
 
 
 

鷲宮神社

町ぐるみで人気を支えているようだ。
 
 
 

鷲宮駅

鷲宮駅。東武鉄道伊勢崎線の駅。町名は「わしみや」だったが、この駅の名前は「わしのみや」となっている。ただ、「わしみや」という読みは1955年に昭和の大合併で新しくできた鷲宮町になってからで、それ以前の地名は「わしのみや」の読みだったようだ。鷲宮駅の開業は明治35年で、当時の地名の読みも「わしのみや」だった。
 
この辺り紛らわしいとのことで、2010年3月23日に新設合併で久喜市になると同時に地名も「わしのみや」の読みに統一されている。鷲宮高校の読みも「わしみや」だが、来年度から「わしのみや」と改めるのだという。
 
 
 

らき☆すた神輿

鷲宮駅には神輿も飾られていた。
 
 
 

定食屋

定食屋のメニューも頑張っている。入るのにだいぶ躊躇したが、中は普通に定食屋だった。
 
 
 
関連リンク
  ●この日の管理人のつぶやき(Twitter)
  ●埼玉県鷲宮町(駅からマンホール:2008/03/30)
 



路上の文化遺産 ~ 光明電氣鐵道株式會社


光明電氣鐵道株式會社

光明(こうみょう)電氣鐵道株式會社
 
中央にレールの断面を意匠としたような紋章が入っている古そうな蓋。この蓋は東海道線磐田駅前に設置されている。この蓋について筆者は、戦前のほんの一時期にこの地を走っていたという幻の電気鉄道、光明電氣鐵道の蓋ではないかと推測している。
 
この蓋の詳細について、先日の静岡○ごとワイド!の番組スタッフの方にも少し調べていただいたのだが、磐田市埋蔵文化財センター職員の方もご存じなかったとのことで、もしかすると筆者が第一発見者なのかもしれない。
 
 
 

磐田駅

磐田駅北口。蓋は左側に見える「くれたけインいわた」の看板の前に設置されている。正確な設置場所はマンホールマップで確認できるが、人通りのとても多い場所だ。磐田駅の利用者は1日あたり約8,000人とのことなので、少なく見積もっても毎日数千人程度に踏まれているのではないかと思う。しかし、誰も気がついていないようだ。
 
磐田駅は明治22年に中泉駅として開業し、昭和17年に磐田駅へと改称されているが、光明電氣鐵道はその中泉駅に隣接して建てられた新中泉駅を起点としていた。
 
 
 

光明

蓋中央の意匠部分を拡大。中央のレール断面を取り巻く紋は中陰松皮菱と呼ばれるもので、この紋は「中陰松皮菱に軌条」と呼べそうだ。中陰松皮菱は4つの稲妻にも見えるので、電車(電気を動力とする鉄道)を動かす鉄道会社の紋章の構成要素として使われることも多いようだ。そしてさらにその外側を「光明」の文字が囲んでいるように見える。(マウスカーソルを乗せると「光明」の部分を強調表示)
 
 
 

二俣町駅

こちらは二俣町駅の開通祝いの様子を撮影した写真。神田公園前駅と二俣町駅間が開業した、昭和5年の撮影ではないかと思われる。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
光明電氣鐵道は大正15年4月に半ば強引に起工、資金がなかなか集まらずに工事は遅れ、昭和3年11月に新中泉駅と田川駅間が開業した。最終的に写真の二俣町駅まで延伸・開業され、その先の工事も行われていたが、昭和10年1月には料金滞納による送電停止により全線が運転休止となり、同年中に全区間廃止、昭和14年には会社も解散されている。電車が走っていたのは約6年半のみで、幻の鉄道と呼ばれる所以である。
 
 
 

二俣町駅舎とホーム

こちらは終点となっていた二俣町駅の駅舎とホーム。送電線も見える。設立時はここからさらに北にあった光明村(現 浜松市)までを繋ぐ予定で、会社名もその光明村からとっており、経営が厳しい中工事もほとんど完了していたようだが、結局開業するには至らずに廃業して未成線となっている。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

車内風景

当時の車両内の風景。写真撮影が一大イベントだったようで、皆できる限りのお洒落をしている様子が伝わってくる。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

起工式

こちらは起工式の様子。大正15年の撮影だと思われる。この写真で注目すべきは後方に見える「祝・起工式」の看板だ。(写真は磐田市埋蔵文化財センターの提供で、静岡○ごとワイド!のロケの際に撮影させて頂いたものです)
 
 
 

光明電氣鐵道光明電氣鐵道

看板部分を拡大。蓋に入っている「中陰松皮菱に軌条」の紋、さらに丸と四角の違いがあるものの、その紋を「光明」の文字が取り囲むデザインがはっきり写っている。この蓋が光明電氣鐵道のものであることは確実のようだ。
 
 
 

沿線案内(表紙)

こちらは磐田市立図書館所蔵の「光明電氣鐵道 沿線案内」。図書館の普通の蔵書であり、誰でも閲覧することができる。
 
 
 

沿線案内

沿線の様子が絵巻物のように描かれている。手前に見えるのは天竜川で、奥に富士山も見える。左側には秋葉山・光明山に秋葉神社、中央付近には獅子ケ鼻公園、右側には駿河湾に海水浴場と、沿線の名所が所狭しと描き込まれている。
 
 
 

沿線案内(新中泉駅周辺)

新中泉駅周辺、現在の磐田駅周辺の様子。東西を走る東海道本線はまだ電化されておらず、機関車が煙を上げながら走っている様子が描かれているが、光明電氣鐵道の線路を走っている車両は電車で、パンタグラフも見える。天竜川の対岸を走っていた遠州電氣鐵道、現在の遠州鉄道が当時既に電化されていたが、この時代に電化された地方路線というのは珍しかったようだ。
 
 
 

天竜二俣駅

天竜浜名湖線、天竜二俣駅。開業は光明電氣鐵道廃線後の昭和15年4月だが、天竜浜名湖線のこの駅付近の鉄道用地は光明電氣鐵道の廃線跡地を転用している。
 
 
 

二俣口駅跡

天竜二俣駅に隣接する空き地には、古い(といっても戦後の)車両が保存されているが、この辺りももともとは光明電氣鐵道の廃線跡地で、この写真の右奥に見える薄緑色の建物の前には光明電氣鐵道二俣口駅のプラットホームも残っている。
 
 
 
関連リンク
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  ●光明電気鉄道(Wikipedia)
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